鈴虫

鈴虫

薄桜鬼小品集

 

 夏のある日、千鶴が部屋で片付けをしていると廊下から名を呼ばれた。

「取り込み中、すまねえな。ちょっといいか」

 廊下に立っていたのは、原田左之助だった。千鶴は片付けの手を止めて、左之助が廊下の明るい場所に腰かける傍に近づいた。

「これは貰いもんだ。千鶴は、虫は好きか?」

 千鶴は、左之助が手に持っている虫かごを覗き込んだ。

「鈴虫だ。いい声で鳴く」

 竹ひごの間から見えたのは、小さな黒い虫。長い角と細い足。よく見ると三匹いる。

「こいつらは夜に鳴くんだが。俺の部屋は、手偏部屋に近いだろ。虫の声で、連中が騒ぎだす」
「すまねえが、千鶴の部屋で預かって貰えねえかと思ってな」

 千鶴は二つ返事で承知した。生まれて初めて虫を飼う。左之助に、餌に茄子や西瓜を置くといいと教わった千鶴は、早速お勝手に行って茄子を切ったものを持って来た。

「助かる。俺はこれから巡察に出て来る。こいつは、暗い場所に置いて、日中に数回水を遣っておけば、放っておいて大丈夫だ」

 左之助は、安心したように巡察に出て行った。

 陽が落ちて、暗くなると虫かごの鈴虫が鳴き始めた。廊下に置いた虫かごを覗くと、虫は鳴くのをやめる。千鶴は、そっと離れたところからじっと待った。再び虫は鳴き始めた。

 りーん、りーん
 りーん、りーん

 美しい虫の音。あんなに小さな身体で、どうやってこんなに綺麗な音が出るのだろう。千鶴は不思議に思いながら廊下の傍に腰かけて涼んだ。廊下を斎藤が通った。今日は朝から所用で出掛けていて、遅い戻りだった。

「おかえりなさいませ」

 千鶴は、座り直して部屋の中から挨拶した。斎藤は、立ち止まって虫籠を見ると、「鈴虫か。廊下の向こうからよく聞こえていた」と言って、「ただいま戻った」と微笑んだ。

「お夕飯はお済みでしょうか」
「ああ、済ませてきた」

 斎藤は、そう返事をして千鶴の隣の部屋に入って行った。その日の夜は、千鶴は鈴虫の声を聞きながら床に入り眠った。

 

 

***

 

「左之さんの虫籠って、あれだろ。馴染みの太夫から貰ったって」
「なんだ、起請文代りかよ」
「じゃ、捨てるに捨てられねえってか」

 朝餉の席で新八と平助が、千鶴が預かり受けた鈴虫の虫籠のことを話していた。千鶴は、左之助が島原の「御馴染みさん」と取り交わした約束を預かったのだと合点がいった。

 朝餉の片付けついでに、漬物用にとっておいた胡瓜を半分に切って部屋に持って帰り、虫籠に入れておいた。虫籠の住人は、一番大きな羽の者、中くらいの大きさの者、そして小さな者。全部で三匹。千鶴は一番大きいのを「鈴太郎」、中くらいのを「鈴姫」、小さいのを「鈴坊や」と名付けた。鈴太郎一家は、親子仲良く虫籠を住み家にしている。

 千鶴が屯所の中の用事をしながら、虫籠一家の世話にも慣れてきたある日。

「ねえ、千鶴ちゃん。鈴虫の声。毎晩聞こえている」
「僕の部屋までね」

 総司は、夏の暑さが厳しくなって来た頃からずっと微熱が続くようになり、巡察を休んで部屋で寝ている。もともと眠りが浅いところを、虫の声で何度か目覚めると聞いて、千鶴は申し訳なく思った。千鶴は虫籠を総司の部屋から離れた場所に置く様にした。斎藤が事情を聞いて、夜だけなら自室で預かると云ってくれた。幾分か虫の音は静かになった。

 陽が昇って明るくなると、斎藤は虫籠を千鶴の部屋の前に戻す。日中、千鶴は鈴太郎一家の世話をし、夜になると斎藤は籠を持って部屋に入る。

「大きいのと、一番小さいのが鳴いておる」
「真ん中の羽の小さい者は、鳴かずにずっと西瓜の皮の上に陣取っている」

 ある朝、朝食の席で斎藤が鈴虫の様子を話し始めた。

「鈴太郎さんと鈴坊やですね。お母さまの鈴姫さんは、西瓜の上でお炊事されているんです」
「炊事をするのか?」
「はい、鈴坊やのお母さまですから」

 斎藤は、千鶴の説明に納得したような顔をして微笑んでいた。

「雪村、鈴太郎はやはり姫と番いのようだ」

 ある日、斎藤が鈴虫の鈴太郎と鈴姫が夫婦であると断言した。

「ゆうべは、ひと際大きな音で鳴いておった」

 千鶴は、斎藤が鈴太郎と鈴姫が二匹で睦まじいと言っているのを普通に聞いていたが、その翌日、異変が起きた。鈴太郎が仰向けになって息絶えていたのである。

「斎藤さん」

 道場稽古を終えた斎藤の元へ、千鶴が血相を変えて走って来た。

「斎藤さん、どうしましょう。鈴太郎さんが亡くなってしまわれて」

 斎藤は千鶴と一緒に部屋に戻って虫籠を確かめた。驚いたことに、虫籠の中には、鈴太郎の姿はなく、鈴太郎の羽だけが籠の底の板の上に落ちていた。

「鈴太郎さん、羽を脱ぎ捨ててどこに消えたんでしょう」
「姫が喰ったのだろう……」

 斎藤がぼそっと呟いた。鈴姫が乗っかっている茄子の輪切りの上に、鈴太郎の捥げた足が無造作に置いてあった。

「蟷螂は、雌が雄と番った後に食い尽くすと聞く」
「鈴虫もそうであろう。鈴姫は鈴太郎とまぐわっておった」

 まぐわる。その言葉の衝撃に千鶴は言葉もでない。どうしましょう。原田さんからお預かりした鈴虫が、共食いで居なくなってしまったなんて。それも、まぐわった後に……。

 千鶴は原田が太夫と交した約束事を自分の不注意でご破算にしてしまったと思い、申し訳なく思った。男女の事は良く解かっていないながらも、原田が恋仲から預かった者が、仲睦まじく暮らしていることが肝心で。まぐわうはともかく、その後に鈴姫が夫の鈴太郎を食べてしまうなど、恐ろしくて絶対に原田さんには言えない。千鶴は、酷く落ち込んだ。

「坊やは。鈴坊やも食べられたんでしょうか?」
「小さいのは、ここに居る」

 斎藤は、籠を持ち上げて、水入れの影に潜んでいる鈴坊やを指さした。千鶴は安堵した。せめて、息子の鈴坊やだけでも無事なら。

「この小さいのも良い音をたてて鳴いている」
「鈴太郎のことは、仕方がない」

 斎藤は、あっさりとそう言うと立ち上がって井戸端に汗を流しに行ってしまった。確かに坊やが無事なら、虫の声を聞く事が出来るだろう。でも、原田さんは太夫さんに何て説明されるのだろう。千鶴は改めて預かった大切な命を守れなかったことを後悔した。

 その日の夕方、巡察から戻った左之助に千鶴は鈴虫が一匹亡くなったと報告し謝罪した。

「千鶴が謝ることじゃねえよ。鈴虫は夏に鳴いたら終わる命だ」
「数日でも千鶴が大事に飼って、虫の音を楽しんだんなら。奴さんも鳴いた甲斐があるだろう」

 しゅんとしている千鶴の頭を撫でて、左之助は慰めた。

「でも、鈴虫は原田さんが恋仲さんから預かったものだって。それなのに私」
「預かったっていっても、生き物だ。夏の間だけの短い。小さな虫の命だ」
「存分に綺麗な声で鳴いて。消えていく。そういうもんだ」

 原田の瞳は優しく、微笑んではいるがどこか寂しそうな色を見せていた。そして、虫籠は千鶴にやったものだから、好きなようにすればいいと言って部屋に戻って行った。

 

 

****

 それから、斎藤の提案で鈴虫を野に放そうということになった。

「隊士の中に、虫に詳しいものがおった」
「鈴虫は、草の生える場所の土の中に卵を産むそうだ」

 竹かごの中では、卵を産めず鈴姫は死んでいく。鈴坊やもそうだと云われて、千鶴は納得した。

 斎藤の夜の巡察がない日、二人で東山に夕方から出掛けた。山に近い草むらに鈴姫と坊やを放した。これだけ草が生い茂る人里離れた場所なら、鈴坊やもつがいを見つけて行けるだろうと斎藤と千鶴はそう語り合いながら屯所に戻って行った。

 それから、秋風が吹き季節が変わるころ。

 新八と平助が、左之助を飲みに外に行こうと誘っていた。左之助は気が進まない様子で、首を横に振っている。

「じゃあ、祇園に行こう。いいって、いいって、ぱっつあんが奢ってくれるってさ」
「なんだよ、馴染みと別れたって。左之さんなら、祇園行きゃあ別のがいんだろ」
「そうだ。お前にしちゃあ、珍しい。女と別れたぐらいでしょぼくれやがって」

 左之助は、しつこく誘う二人に折れるように出掛けて行った。千鶴は、三人が屯所の門を出て行く姿を見送った後、部屋に戻った。

 そして、床の間の端に置いたままになっていた空っぽの竹ひごの虫籠を手に取って、そっと飾るように真ん中に置き直した。

 

 

 

 

(2020/07/26)

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