忍びの道(後編)

忍びの道(後編)

薄桜鬼小品集

 総司は江戸に居た頃より、道具に金の糸目はつけない。

 刀もそうだが、鎖鎌、鎖分銅、撒きびし、玩具の弓矢、鉛玉を買い求めては悪戯に使う。斎藤と相馬は、総司が持っている道具をふんだんに使って自分たちを阻止することが十分に解かっていた。屯所の北側の廊下はおよそ一町。客間や新選組局長の近藤の部屋、総長の伊東甲子太郎の部屋が廊下に面している。客間の前に撒きびしが一面に敷くように並べられていた。相馬は、これを「地雷陣」と呼び、決して踏み込んではならないという。

「こちらへ」

 相馬は、廊下の欄干に足をかけて、伝い歩きを始めた。斎藤も後に続いた。

「いてて、気を付けて下さい。欄干にも撒きびしが置いてあります」

 総司は用意周到だった。欄干を伝って移動ができないように手すりにも尖った釘を打ち付けてある。

「やれやれ、あれだけ片付けろといっても、聞きやしない」

 井上が箒と塵取りを持って現れた。欄干に必死に掴まっている斎藤と相馬を見て、「なんだね、斎藤くん」と驚いている。

「君まで忍者遊びかい」

 井上に名指しで呆れられて、斎藤は恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「わたしは構わないが、廊下にこれを撒くのはやめて貰いたいものだね」
「ほんとに、勇さんが戻ってきたら、どうすんだい。歩けやしない」

 井上はぷりぷりと怒りながら、撒きびしを勢いよく箒で掃いた。斎藤と相馬は廊下の床の上に飛び降りて、井上に詫びと礼を言った。

「助かりました」
「ありがとうございます」

 井上は、呆れた表情のまま相馬の装束を頭の先からつま先まで見て溜息をついた。斎藤は、井上が手に持った道具を片付けておくと云って受け取った。井上が行ってしまうと、斎藤は懐から内飼いを取り出して、塵取りの中の撒きびしを内飼い袋に詰めて、背中に斜め掛けにした。

「敵に追われた時に、これを撒けばよい」

 相馬も袖の中に小ぶりの撒きびしを仕込んだ。北側の廊下は水を打ったように静かである。地雷陣を超えると、この先は何も障害物が見えない。だが、斎藤は警戒しながら摺り足で欄干側をゆっくりと進んで行った。いつ襖が開いて敵が攻撃してくるか判らない。平助の部屋の隣の客間が見えて来た。甲賀忍者の潜む森。あの中に、雪村が囚われている。

 斎藤は、障子の影に立って相馬に合図を送った。二人で鯉口を切ったと同時に障子を勢いよく開けた。部屋の中は暗い。障子の影に誰も潜んではいなかった。警戒をしながら、摺り足で中に入った。奥の畳の上に何かがある。相馬が確かめた。

「先輩の頭巾です。足袋も」

 斎藤が見ると、千鶴の頭巾と足袋が縄で縛ってあった。足袋を脱がせたのか。斎藤は愕然とした。たとえ足先とはいえ、千鶴の纏っているものをはぎ取る事は言語道断。縄で縛ってあるのも、明らかに斎藤を挑発する魂胆は丸見えだった。斎藤は憤った。

「ここ以外に、甲賀の隠れ家は」

 斎藤が相馬に訊ねた。「たぶん、西側の納戸部屋です」と相馬は答えた。納戸部屋は広く、阿弥陀堂で扱う仏具や法要に使う道具が置いてある。西本願寺の住職からの注意で、この部屋への新選組の出入りは許されていない。斎藤は、再び廊下に出て西側の廊下に向かって走って行った。近藤の部屋の前を通った瞬間、足元に何かが走った。長縄がピンと欄干から張られた。斎藤は、もう少しで足を掬われそうになった。相馬は足をひっかけて勢いよく前に転んだが、旨く左肩を入れて受け身になった。その瞬間、ひゅんっという音がして、鎖分銅が近藤の部屋から飛び出して来た。斎藤は、すかさず刀を抜いて払ったが、分銅はぐるぐると斎藤の刀に巻きついた。

「引いて」

 総司の声が聞こえた。鎖を持っていたのは野村利三郎だった。総司は、奥の部屋の襖をあけ放った通路から、玩具の吹き矢で攻撃してきた。羽子板の羽のように胡鬼子に竹ひごが刺してある、子供だましの玩具だが、首や顔に当たると大層痛い。斎藤は、刀に巻きついた分銅を振るい払った。相馬が野村に飛びかかったが、総司が木刀で相馬の脇腹を突いて、相馬が態勢を崩したところを、首の後ろを思い切り打ちつけた。相馬はうめき声をあげて、畳にうつ伏せになって倒れた。斎藤は総司を追いかけたが、再び総司は野村利三郎を引き摺るように、襖の向こうに消えて行った。

 奥の部屋は通路を通ると手偏部屋に繋がる。山南さんの部屋もある。あの暗い通路は、西側の廊下に繋がる。斎藤は相馬を助け起こした。頭巾で覆っていた為、打ち付けられた場所は腫れあがってはいなかった。

「西側の廊下だ。納戸部屋に行くぞ」

 斎藤は相馬を立ち上がらせると、再び外の廊下に出た。これ以上、仕掛けや罠にかかってはいられない。相馬と欄干側を警戒しながら進んで行った。廊下の角に身を隠して、西側の廊下を確認した。角を曲がると直ぐに、木戸がある。そこが納戸部屋だった。斎藤は、相馬と木戸を開けて中に入った。その瞬間、天井から大きな金盥が落ちて来た。間一髪で除けた二人は、一番近くにあった柱の陰に隠れた。

 殺気を感じた。

 斎藤は抜刀して右側の空を斬った。鎖鎌が反対側の壁から振り子のように迫って来た、もう一本の鎌が左側から振り子のように迫る。斎藤は、刀を峰に返して鎌を叩き払った。

 納戸部屋は、罠や仕掛けだらけなのだろう。だが臆してはならん。斎藤は、刀を青眼に構えながら、摺り足で前に進んだ。暗い部屋にだんだん目が慣れて来た。大きな仏具や棚の影に、誰かが潜んでいるような気配がする。

 どこかに微かな音がしている。小さな鳴き声。雪村か。斎藤は辺りを見回した。大きな須弥壇の枠の向こうに、裸足の足が見えた。宙に浮く小さな足。斎藤は、駆け込むように見上げると、天井の梁から吊るした白い縄で胴を縛りつけられた千鶴が宙づりにされて揺れている。目からぽろぽろと涙を流し、口には手拭でさるぐつわをされていた。

「姫」

 相馬の叫ぶ声が響いた。頭上高くに宙づりにされた千鶴を下ろすには、梁から縄を解かなければならない。梯子が要る。須弥壇の枠に上っても、やっと千鶴の足の先に手が届く高さだった。一体、総司と野村はどうやってあのように高い場所に雪村を吊るし上げたのだ。

「雪村、今下ろしてやる」

 斎藤が頭上の千鶴に声を掛けると、千鶴は首をしきりに縦に振っている。千鶴を宙づりにしている白い縄は梁の上に結び付けてあるように見えた。壁か柱をよじ登って、梁の上に上がろう。

「相馬、肩を貸せ。梁の上に上がる」

 斎藤は、足袋を脱いで相馬の肩に上がると、柱をよじ登って行った。その時、相馬の首筋に何かが触った。微かな冷たい感触。相馬は目線だけを顎の下に向けた。きらりと光る刃。

「動くと斬るよ」

 総司の声が聞こえた。相馬は柱に手を付けたまま全く動けない。柱の上の斎藤が振り返ると、総司は斎藤を見上げて笑っている。

「はじめ君、いくら登っていっても無駄だよ」
「あの子を吊るしている縄は、金縄に繋がってる。金縄は、鍵がないと解けない」
「白縄を切っても、あの高さから落ちたら」

「総司、遊びは終いにしろ。雪村を下ろせ」

「遊び? 何言ってるの」
「真剣で斬りつけてきたのは、はじめ君でしょ」
「宝の巻物をくれたら、千鶴ちゃんを下ろしてあげるよ」

「野村君、撒きびし」

 総司が指示をすると、暗がりから野村利三郎が出て来て、柱の周りに撒きびしを撒いた。相馬の足元から四方八方全て針のむしろのようになった。相馬は、歯ぎしりをして悔しがった。

 その時だった。相馬の肩に斎藤の足が触れた。柱を滑るように下りて来た斎藤は、そのまま勢いを付けて相馬の肩から飛び立った。空中で背中の刀を抜刀すると、そのまま総司の頭上から降り降ろした。

 金属と金属がぶつかる音が鳴り響いた。総司は斎藤の剣を跳ね返して後ろににじり下がった。目にも留まらぬ速さで、斎藤の剣が逆袈裟懸けに総司を斬りつけた。総司の剣は跳ね飛ばされた。総司は脇差に手を掛けて、居合で水平に斎藤の鳩尾を狙った。鋭く肘を振り上げて、何度も突きを入れてくる、斎藤は追い込まれた。足に激痛が走った。撒きびしを踏んだか。その場で必死に踏ん張ったが、斎藤は態勢を崩して片膝をついてしまった。

 来る。

 とどめの一撃が来ると思った。咄嗟に刀の柄に右手の掌を滑らせた、小柄を取って飛び上がった。斬られてもよい。ただ狙うは人迎。

 相馬は斎藤が総司の肩に手をやったまま、二人が動かなくなったのを見ていた。総司の脇差の切っ先は斎藤の首筋に当たり、斎藤は握った小柄の切っ先を総司の喉仏に突き刺すようにして寸でのところで留めていた。

 暗がりに睨みあう二人の瞳は光り輝いている。総司の口角がゆっくりと上に上がった。

「雪村を下ろせば、巻物は渡す」

 斎藤は静かに総司に言うと、総司は刀を下ろした。暗がりで野村も相馬も動けなくなっていた。新選組の双璧。道場でこの二人が打ち合えば、屯所中の隊士が見物に集まる。だが、二人が真剣で本気で殺し合う瞬間を見たのは、小姓たちが初めてだった。

 無事に梁から下ろされた千鶴は、斎藤が抱き留めた。さるぐつわを取ると、「斎藤さん、斎藤さん」と名前を呼び、縄を解くと斎藤の首に縋り付いて大泣きした。斎藤は子供をなだめるように千鶴を抱きあげて納戸部屋から出て行った。大広間に千鶴を連れて行き、しゃくり上げながら泣き続けている千鶴から鍵を預かると、相馬に巻物を取り出すように頼んだ。相馬は、巻物を総司の部屋に持って行った。そこでは、野村が総司から鎖分銅の手ほどきを受けていた。巻物を総司と野村に渡すと、「甲賀の勝ちだね」と総司は笑った。相馬は「参りました」と言って頭を下げた。

「ねえ、君。今度忍者やる時は、絶対にはじめ君を呼ばないでね」
「本気の忍び道になるから」

 総司はそう念を押して、野村にも約束させた。

 斎藤は、ようやく泣き止んだ千鶴に、夜に出掛けられるなら芝居を観に行こうと誘った。千鶴は夕餉の仕度があったが、相馬と野村が役目を買って出てくれたお陰で、夕方から二人は南座に出掛けて行った。芝居小屋を出ると、外は時雨が降っていた。

 月も朧に 白魚の
 篝も霞む 春の空

 千鶴は、ずっと機嫌がよく。高下駄を履いた足で水溜まりを踏み込むたびに見栄を切って決め台詞を言っては、お嬢吉三になり切っていた。昼間泣いた烏がもう笑っている。その無邪気な様子に斎藤は安堵した。

 そうして、大きな番傘一つの下、二人はゆっくりと屯所に帰っていった。

 

 

 

(2020/07/30)

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