ブログ【小説更新情報】庇の影 その五
こんにちは。GWが始まりましたね。お元気にお過ごしでしょうか。
「庇の影 その五」をアップしました。吉田道場で精進し頑張る斎藤さんの続きです。
以下、小説のネタバレに繋がる話になるので記事をたたみます。
今小説を整え終わって。改めて自分のノートを見ると、当初は、以下のように設定していました。
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【山口家】
山口佑介 1801―1888
(妻)ます 1804―1879
(長男) 廣明 1836-1902(斎藤さんより九歳年上)
(長女)勝 1842―1875
(次男)一 1844-1915 (斎藤さんは佑介が43歳の時の子供)
佑介は苦労人。明石藩の足軽。20歳のときに江戸にでて、御家人株を買い、神田小川町の鈴木家に仕える。(出典 「斎藤一新選組論考集」)
【小説の設定】
父親の年齢を変更すること。1811年生まれ文化八年。(斎藤さんは。佑介が33歳の時に生まれたことにする) 佑介は二十歳の時に明石から江戸に出た。天保元年頃。剣術を学び算術で生計を立て道場稽古で下級武士の羽入忠三郎と昵懇になる。
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羽入忠三郎は「はねいり」が読み方です。山口一の父親の朋友。元々江戸で暮らす下士でしたが、六郷家の騒動に巻き込まれ江戸を出奔しました。天保元年から二年頃の出来事です。 六郷家は実在し、佐渡守を歴代継いだ大旗本です。話の騒動は全くの捏造です。 密貿易で幕府に隠れ私腹を肥やした藩というのは「竹島事件」からヒントを得ています。
斎藤さんが初めて上洛した文久三年。「木瓜の花」で語られる事件は、その三十一年前の出来事です。江戸を出奔した忠三郎は、京で名を変え別人として生きていく。忠三郎を逃した源之助は、その後、江戸で御家人となり子供を三人もうける。羽入が江戸に帰還することはなく、互いの無事だけを数年おきに報告し合う。そんな関係です。
今回のエピソードで、山口一は殆ど言葉を発することがなく、いつもの如く、様々な想いを巡らせています。去来する想いや、吉田房之介という剣の師とその教えを懸命に吸収しているところ。そして、己の身の期し方を改めて決めなければならない時が近づいています。
お堀端での斬りあいがあったのが、文久三年二月中旬(現在の暦では四月初旬)で、江戸を出発した浪士一向がそろそろ京に到着する頃です。浪士は中山道を通って二週間で上洛しました。季節では春の終わりから夏のはじめ。黎明録の冒頭に繋がっていきます。
土方さんが山口一宛に書いて総司君に言づけた手紙。文面が判明。
土方さんは、浪士参加で帯刀の許可を得て完全に舞い上がっています。斎藤さんに物を見てもらいたい、研ぎや手入れが必要なら江戸でと考えていたようです。麻綱は、江戸時代の旅心得状に、荷物を纏めるのに必須の品とされていました。土方さんが、上洛の準備に勤しんでいるのがよく判ります。必要なことだけをパッパと書くだけの手紙。土方さんらしいです。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
小説は、また続きをアップします。
それでは皆さん、楽しいGWをお過ごしください。
ちよろず