庇の影 その六
道場閉鎖の話を聞いてから数日が過ぎた。
先生は朝の内に稽古に出て、午後はそのまま部屋で床に臥せている事が多くなった。御用聞きの太助が医者の薬を届けてくれている。稽古のない日の朝は、太助と青竹採りに東山へ出掛け、午後は独り稽古をしている。
わたしはもう永くはない。
先生の横顔。遠くを見ているような瞳を思い出す。本当だろうか。にわかに信じがたい。嘘であって欲しい。心に拡がる暗がり。どうすればよい。答えを見つけるために裏庭でひたすら刀を振った。こうしている間は無心になれる。
「斎藤さん」
背後から声が聞こえて振り返ると、道場の格子窓に相羽辰之進の顔が見えた。
「そちらに行ってもええですか?」
返事をすると、辰之進は表に出てきた。手には打刀を持っている。
「先生から、斎藤さんに居合斬りを習えと言われました」
辰之進は襷掛けをして、青竹の準備を手伝うと「よろしゅうお頼み申します」と深々と頭を下げた。真剣での構えから、刃の向きと振り下ろしを素振りで練習した。辰之進は太刀筋が素直でよい。
「そうだ。そのまま真っ直ぐに保て」
真剣な表情で「はい」と返事をした辰之進は、青竹の前に進み出て気合を入れて構えた。自分が頷くと、「やー」と声を上げて竹に斬りかかった。刃は斜めに竹に入ったが、途中で左腕がぶれた為に最後まで斬る事が出来ずに止まった。柄から手を離して、刃を竹から抜き取った。悔しそうな辰之進は、立て直した新しい青竹の前で再び素振りをしている。
「刃が通る先を見てみるとよい」
「刃が竹を抜けて行く先だ」
「目でみるのではない。胸の内でその先を追う」
「はい」
五本目の青竹で、辰之進は刃先を保ったまま斬ることが出来た。初手にしては出来がよい。そう言うと、「はい」と嬉しそうに返事をして笑顔になった。それから、二人で真剣を振り続けた。東山から持ってきた青竹が全てなくなり、その日は稽古を終えた。陽はまだ高い。辰之進は、これから荒神橋の「長尾道場」に行くという。
「荒神橋に一刀流と太子流の先生がそれぞれおって。わたしは太子流の先生につくつもりでいます」
既に吉田道場から先方には言上状を送ってあるという。辰之進に付き添って荒神橋に出向くことになった。
「良かった。斎藤さんに付いて行ってもらえって先生に言われてましたから」
「斎藤さんが居てはったら、向こうで急に仕合う事になっても心強いです」
(そうか、他道場に出向くのは初めてなのだな)
嬉しそうに笑顔を見せる辰之進の顔を見て、心中でそう思った。さぞかし心細く感じておるのだろう。無理もない。だが、臆することはない。辰之進は初伝を得てから更に腕を上げている。たとえ先方で腕試しをされても問題はなかろう。
四半刻ほど歩いて長尾道場に到着すると、すぐに道場に通された。その場に居た門人は五名。その内の二人と手合わせをすることになった。辰之進は二本をとり、自分は全勝して終わった。満足のいく内容の手合わせだった。その場で、道場主から翌日から待っていると挨拶をされた。「はい、よろしくお願い申し上げます」と元気に辰之進は頭を下げた。
道場を出た時、もう日が暮れかかっていた。辰之進とは途中で別れ、急ぎ宮之脇橋まで戻った。先生が部屋で一緒に夕餉をと云うので、膳を運んで一緒に食べた。
「裏庭の稽古を廊下から見ておった」
「辰之進はおいおい真剣にも慣れていくだろう」
先生はそう言って微笑んだ。飯を食べ終えると、自然に長尾道場での手合わせの話になった。辰之進と仕合った相手も自分の相手も「小野派一刀流」の手合いであろうと先生は応えた。
「……相打ちに……」
自分の云った言葉をそのまま繰り返すように呟いて、先生は黙っている。
「わたしが打った太刀を順に応じ、相手は己から進むように迎え撃ってきました」
「一瞬、拍子を違えると取られるところでした」
先生はじっと黙って自分が話すのを聞いている。相槌を打つでもなく、背筋を伸ばし、その目は瞬きせずにじっと自分の事を見ている。道場での手合わせ。相手の息遣い、摺り足の向き、振り上げの高さ、一瞬の間合いや木刀が振り下ろされる向き、それを先に弾き突きをとったとそっくりそのまま言葉で伝えた。先生は、辰之進の仕合いについても詳しく報告を聞き、その間もじっと黙っていた。
「勝ったのなら、それでよい」
先生は、最後に一言だけそう言うと自分に膳を下げるようにと頼んだ。廊下に出ると、先生に呼び止められた。
「荒神橋に通うのなら、明日から辰之進と共に行きなさい」
咄嗟のことで、何と返事をすればよいのかわからず、ただ膳を持ってその場に立ち尽くした。目の前で何かを断ち切られたような。自分の足は廊下の板の上にあったが、縁側の外に強い力で放り投げられたような。そんな気がした。
「……わたしは」
「長尾道場には行きません」
背中を向けていた先生が部屋の奥で振り返った。
「そうか、それならばよい」と言って、先生は羽織を脱ぐと、着物入れに畳むように置いた。それから「今夜はもう休むとしよう」と言って、寝間に入る様子をみせた。
「片付けはよい。今夜はもう休みなさい」
ずっと立ち尽くしている自分を促すようにそう言うと、先生は手を伸ばして傍らの行灯を吹き消した。自分は挨拶をして障子を閉めた。廊下の外は月明かりで明るい。自分は膳を手に持ったまま、暫くぼんやりと庭先を眺めていた。
どこからか螽斯の鳴く声がきこえていた。
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刃引での稽古
翌朝、先生は早くに勝手口に来て「これから稽古をつける」と言った。
朝餉を素早く済ませて道場に向かうと、先生は既に正座をして待っていた。いつもの作務衣姿ではなく、外出する際に纏う紬に袴着。目を瞑ったままじっと動かない先生の前で自分も正座した。瞼を伏せて、同じ様に精神統一する。それまで聞こえていた鳥の声や、風がそよぎ木々の葉が鳴る音が無くなる。ただ無音の中で、己自身も消し去った。
「はじめよ」
目を開けると、先生は真っすぐに自分の事を見ていた。下の名を呼ばれたような気がした。先生はゆっくりと立ち上がると、神棚の前にあった刃引を手に取った。
「今日からこれで稽古をつける」
先生は鞘から抜くと、もう一振りの刃引を手に取るようにと言って、少し離れたところで、思い切り素振りを始めた。空を斬る鋭い音が聞こえる。初めて手にした打刀は、柄が細身で握りやすいものだった。だが、普段使っている国重より少し重い。刀身は肉厚。前に構えて、突きを放った。道場の外からの光が刃先に跳ね返る。先生は、刀を鞘に戻して位置についた。互いに正座をして床に両手をついて深く一礼。
「前に。丹田まで手元を下ろし、構える」
先生は静かに青眼から低く手元を下ろすようにして構えた。自分も同じように手元を下げた。低い重心。
「己と相手の正面線を違えずに捉える」
いつもの稽古とは全く違う。言われた通りにした。自分の切先と先生の切先が一本線に重なった。その瞬間先生は前に出て刀と刀がぶつかり合った。鎬で跳ね返される。物凄い衝撃だ。
「切り落とし」
「相手の軌道に先に入る」
先生は一歩下がり、再び互いに切先を一本線に合わせるように構えた。今度は自分が先に踏み込んだ、青眼から振り下ろし相手の刃先の進む方向に己の刃を入れる。これは、理にかなったやり方だ。一瞬の間合いさえ逃さなければ先に一手を打てる。
ぶつかり合う刃と刃の音だけが響く。先生の打ち下ろしに負けない威力で己の太刀で打ち落とす。「手元を臍まで落とせ」と言われ、低く構えた。そうすると剣先は打太刀の顔面中央を制する。そうか。しっかりと手元を落とせば、強く打ちおろしが来ても弾き飛ばされずに済む。何度も打太刀の打ち下ろしを低い位置で受けた。鎬を合せても、正面の重心を保てれば、二手を打つことが叶った。先生の小手をとった。
先生は、「本気でかかれ」と言って己の打太刀を軽々と躱す。いつものような、右足を庇う姿勢を一切見せない。つけ入る隙は全くない。
「小野派一刀流は、この振り落としで相手を制す」
「己の正面を保てさえいれば、次の一手は撃てる」
先生は、続いて「乗り突き」「浮木」を細かく教えてくれた。荒神橋の道場で仕合った相手の動き。木刀とは違い、刃引きで振り落とされると初手で斬られることになる。真剣なら命取りだ。相手の動きに乗ずるやり方は、いつもの先生の教えと同じだが、ここまで相手と己の正面線を捉えることに集中するのは、初めての経験だった。難い。難いが先に刃先を持っていかなければ斬られる。先生の動きは早い。
相手の動きが常に乗ずる。
ではどうすればよい。鎬合いで、相手に弾かれないようにするには。低く構えるだけでは、次の一手で打たれる。
「手元を下げよ」
「もっと深く」
先生の云う通りに下げると、前ががら空きになった。自分が疑問に思うことがそのまま顔に出ていたのだろう。先生は一旦、刀を下ろすと一歩前にでて自分の構える刃先に手を掛けた。震動が腕に伝わる。だが、抑えられた刃先を腹に力を入れて元に戻した。決して己の丹田から先の正面からずらさぬものか。先生の手の動きを睨むように息を詰めていると、先生は鼻から息を漏らすような音を立てた。
「その通りだ。よく出来ておる」
一体何のことを褒められているのかが判らない。先生は再び位置について、青眼に低く構えて一気に撃って来た。合わさった刃と刃は、互いを弾くように離れたが、そのまま前に踏み込んで先生の心の臓の上に突きを入れた。同じ動きを何度も稽古した。陽が高くなっても、休むことなく稽古は続き、全身が汗だくで息が完全に上がったところで「やめよ」と声がかかった。
昼餉は握り飯と沢庵を準備したものが勝手口に置いてあった。先生の部屋の前の縁側に腰かけて二人で食べた。先生は庭木の話をしきりにしているが、指でさした先の花や枝ぶりを、自分は目で追って頷くことしか出来ない。
「今日は八分目にしておきなさい」
飯を頬張る自分を見て、先生は微笑んでいる。午後も稽古があるのだと合点が行った。先生は「空腹で振るう剣の方が、威力は出る」というようなことを言って笑っている。総司と同じだ。心中でそう思った。総司は、大事な試合の前は力水しか飲まない。腹に何も入っていない方が、気が集中して勝てるからだ。道理はそうなのだろう。握り飯にがっついている己が恥ずかしい。腹が減っては、戦はできぬ。そう反論していたのは新八だ。新八は身に力をつける為に飯をしっかり食べる。大飯喰らいは俺とて同じだ。平助もそうだ。近藤先生もだ。そんな事をぼんやり考えていると、いつの間にか先生は盆を持って廊下を勝手口に向かっていた。自分は慌てて湯呑みの茶を一気に飲み干すと、片付けをしに廊下を駆けて行った。
それから三日間、毎日刃引きでの稽古が続いた。最後に先生は、「一刀流の基本の教えは全て教えた」と言って一礼した。
一刀流の剣士と刀を交えることになっても、相手の動きを読み乗ずれば勝てる。そなたの剣先は必ず重心を捉えておる。正面に戻る力がある。大切なことだ。
そう言って、先生は背筋を伸ばすと、深く両手を床について一礼した。自分も同じように礼をした。
「ありがとうございました」
先生は刃引を丁寧に仕舞うと、「そなたの刀にしなさい」と言って、そっと差し出した。柄や拵えから随分と年数の経ったものだと思った。今まで刃引を所有したことがなかった。江戸では、試衛場で野試合に出る前に借りて使った。刀身も柄も太く、自前の刀より振るのに力が要る。先生から授かった刃は細身だった。これならば、存分に振るって稽古が出来る。
「ありがとうございます」
稽古の終わりに二人で祭壇を拝んだ。先生は長く手を併せたまま動かない。自分も手を併せ直した。今日学んだこと。しっかりと精進していくことを誓いながら。
「わたしはまだ道場に用がある。先に夕餉をとりなさい」
先生は、祭壇の上の埃を払い、榊立てを手に取って道場の裏に出て行った。自分が片付けを手伝うと申し出ても、「よい、私がやる仕事だ」と言って、水場に足を引き摺りながら歩いていった。
その夜、太助が道場に医者を連れて現れた。冷泉通りの四つ辻に医療所を構えるこの医者のことを、太助は「れいぜん先生」と呼んでいるが、名は永富友庵という。薬の調合にかけては、市中でも名の通る名医だと聞いていた。夜遅くの診察に、先生の容態が心配になり、廊下で様子を伺っていると、太助が勝手口から自分を呼びに来た。
「先生は……」
「もう長い事、あらしまへん」
太助は、勝手口の縁側に腰かけて背中を丸めたまま呟いた。小さな背中は少し震えている。声を凝らしているが、時折鼻水をすする音が聞こえてきた。心に暗い影が射す。昼間の打ち合いで、先生との手合わせがずっと続くものだと思っていた。刃引きをぶつけ、全力をかけた稽古。
——そなたに教えることは全て教えた。
最後の礼をしたときにそう言われた。最後の稽古だったのか。なにも。俺はなにもまだ。
精進していこうと誓っただけで、なにも……。
いつの間にか、目の前に太助が立って居た。肩を落とした自分を泣き腫らした目で見ると、深々と頭を下げた。
「おおきにありがとうございます」
「先生の代りにあっしから礼を言いたい」
「いろいろ助けて貰えて、ほんまに……」
「……こうして道場で刀を振りはった……先生も本望でっしゃろ」
自分は何も言えず、ただ頭を下げるしかなかった。太助は袖口から手拭をとりだすと、拡げて顔を覆った。肩を震わせている。先生は「東町の太助」との関わりは三十年来だと言っていた。御用聞として市中を駆けまわり、昼夜先生の右足となって働いてきたのだろう。震える小さな背中を見ながら、ただ自分は何も出来ることはないのだと己の無力を痛感した。
診察を終えた医者は、容態に大事はない、朝までこのまま眠り続けるだろうと云って帰って行った。それから太助と交代で先生の傍につき、夜が明けるのを待った。考えることは、己の身の振り方。江戸から逃げてきた自分を匿い守ってくれた先生に、自分は一体何を返すことができる。どうすれば。
この多大な恩義に報いることができるのだろう……。
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分限帳
先生は翌日の昼頃に目覚めた。
「大事はない」
ひと言そういって、太助を外にやらせ、自分には独りで稽古を続けるように仕向けた。医者の薬が効いているのか、日中は起き上がり用向きがあれば自分や太助を呼ぶ。そうして数日が過ぎ、三月に入ったある日、東御役所に書状を持っていくようにと言われた。
「太助を呼んである、共に行ってきてくれまいか」
先生は、書状を自分に渡すと再び床に臥した。間もなく太助が現れ、一緒に道場を出立した。雲に覆われどんよりとした空、風は冷たい。冷泉通りを下り、永富友庵の診療所に立ち寄って薬を受け取ってから、白河通りに出た。
「斎藤さん、御役所へは?」
「初めてです」
「東も西も御役所は二条城の傍です。こっからちょっとありますな」
二条大橋を渡り河原町に着いたところで、太助にさそわれて煮売り屋で昼餉を食べた。押小路通りを歩き二条城の外濠に出たのは正午を過ぎた頃。
「家茂公の上洛で、えらいこと。警備がようさん」
太助が手を目の上にかざして、通りの向こうの様子を伺っている。外堀の控え所に人だかりが見えた。太助は、「あの中に同心は数名しかいてしまへん。殆どが町衆やから」と説明した。家茂公の上洛。そうか。将軍様がいよいよ。そうすると、浪士もあの控え所に居るやもしれぬ。
「御役所はこちらです。東の方が建屋は大きいんです。お堀のむこうに西の御役所がありましてな。あっしは此処までが自分の持ち分で」
東町奉行所の大きな門をくぐり、建屋の玄関の横を通って勝手口のような所から建屋の中に入った。土間が続く通路を通って中庭に出た。建屋の縁側の向こうには文机が並べられ、奉行所の事務方が忙しい様子で書きものをしていた。太助が縁側の御影石の前で跪くように頭を下げると、座敷から役人が一人立ち上がった。
「おう、こっちだ」
黒羽織姿の役人は、縁側でしゃがんで太助から用件を聞くと、自分に向かって「待っておった」と言って、会釈をした。自分も背筋を伸ばして一礼した。太助はここで待っていると言って、「ささ、ここから上がって。石橋さまが後は取り計らってくれはります」と、自分を手招きするように促した。御影石の上で草履を脱いで、廊下に上がった。石橋十四郎と名乗った役人について行くと、隣のひと間に通された。そこには文机と硯箱が置いてあった。
「吉田道場の斎藤殿であったな。私も同門だ」
「先生は息災であられるか」
笑顔で尋ねる目の前の役人に、「はい」と答えた。懐から書状を取り出して、相手に差し出した。
「先生から預かって参りました」
石橋十四郎は、書状を手に取ると直ぐに開いて中身を確かめた。
「相承知した。分限帳に其方が吉田房之介の補佐役と記帳致そう」
「然らば、其方の姓と名、出身地、生まれ年をお教え願いたい」
石橋は、すぐに文机に向かって硯箱を開いて筆をとった。
「それがし、斎藤一と申します。名は一と書いて、はじめ。江戸の本郷が出身地です。生まれは弘化元年一月です」
石橋は帳面に丁寧に書きとめると、筆をおいて振り返った。
「わたしは、江戸神田の生まれだ。もう長く江戸を離れておる」
江戸前の話し言葉を懐かしく思いつつ、己の身分証明が御役所の分限帳に記された事にただ驚いていた。吉田先生の補佐役。それは、御役所監察方補佐役ということだろうか。己の名がまさか奉行所の分限帳に載ることなど、考えてもみなかった。同時に、背筋が伸びるような気もした。素浪人以下の仇持ちの俺が、御役所の役回りの身分を与えられた。信じがたい。
石橋は確かに分限帳記帳を承ったと言って、再び廊下を案内するように縁側に歩いて行った。太助が中庭の少し離れた御影石に凭れて待っていた。自分の姿を見つけると、笑顔で近づいてきた。
「確かに承ったと、吉田先生にお伝えください」
「ご足労であった。それでは、某はこれで」
石橋は一礼すると、再び事務方の部屋に戻って行った。自分は挨拶して、太助と一緒に再び建屋の玄関に向かって行った。真っ白な玉砂利が敷き詰められたお白洲のような中庭を横切って門の外に出た。
「お疲れ様でございました。あっしはここで。用向きがございますよって」
太助は、二条通りから丸太町に出る道行を教えてくれた。先生の薬を言付かり、そのまま独りで道場に戻った。外濠の通りを歩きながら、堀端の詰め所に群がる人々を眺めた。あの中に浪士がいる。きっと。知った顔が見えないかと試衛場の仲間を探したが、見つからなかった。
外濠を離れ、人出もまばらになった通りを足早に進んだ。心の中には試衛場の仲間の顔と、さっき通った東御役所の真っ白な玉砂利が交互に巡る。眩しいぐらいの風景。初めて、己の力を認めてくれた仲間。江戸で全てを失った己が、再び身分を得た場所。たとえそれが偽りでも、何かの役廻りについているという実感。どこか自分が定まったような気がする。有難いことだ。
「先生には感謝してもしきれぬ」
思わず、心の中の気持ちが口をついて出てきた。通りには誰もおらず、冷たい空気の中、己の声だけが小さく響いた。
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将軍上洛
文久三年三月四日。将軍徳川家茂が上洛した。
その前日に斎藤一が通った二条通には沿道に人が溢れかえり、建屋は天蓋窓を開けたままの見物を許された。将軍上洛に先行して着京していた幕府浪士集まりは、将軍警備に馳せ参じるつもりであったが、正式な命は下りず二条大橋を渡る将軍一向の行列を遥か離れた沿道から眺め見守るだけだった。
浪士集まりが京に入ったのは十日ほど前。宿所として近藤たち六番組に割り当てられたのは、二条城から近くの壬生村の郷士の本宅。在京の幕閣役人が訪れる新徳寺は目と鼻の先にあり、幕府浪士取扱の鵜殿鳩翁が対応にあたっていた。連日、夜になると寺の広間に取締役並以上の者が、各組合から集められた。八木邸に寝泊まりする土方たちは、会合から戻った近藤から浪士世話役の清河八郎が朝廷へ建白書を献上すると息巻いていたと聞かされた。
「我々は尽忠報国の志により集められ、将軍が尊王攘夷の任務を遂行されるのを補佐するために上洛した。幕府の世話で上京したが、碌位は受けておらず。天子様の勅命を妨げるものがあれば、幕府の役人といえども容赦いたさん」
近藤が読み上げるように建白書の内容を八木邸の広間に集まった土方たちに伝えた。
「この真心が貫徹できるよう取り計らって頂きたい。これが建白書のおもな言葉だ」
「それで、これはいつ朝廷に提出するんだ」
「清河さんは、今夜清書して署名し、明日学習院に直接持ち寄ると云っておられる」
「寺に出向いて血判を押すなら、今すぐ出られる」
「ああ、もう少しすれば寺から呼び出されるだろう」
広間には試衛館の門人以外に水戸出身の芹沢鴨と同じ三番組の浪士数名が集まっていた。
天子様が攘夷の勅命を下し家茂公が直ちに実行するなら、京ではなく大坂湾に夷狄を迎えて攘夷することになる。我々は具足も経帷子も備えておる、将軍様を補佐し大坂へ向かうことになろう。こうして攘夷実行の気運は高まった。その興奮のまま皆で新徳寺に出向き、未明に建白書に署名血判した。
近藤たちの沸き立つ気持ちとは裏腹に、浪士の雲行きが怪しくなったのはその翌日のことだった。
「なんだ、江戸に戻るって」
「家茂公はこちらに向かわれてるって話じゃねえか」
近藤の部屋で土方と近藤が言い争うような声が響いているのを、廊下の柱の影に凭れた総司が聞いていた。
「ああ、大樹公はあと数日で着京される予定だ。我々は、東国に帰還し将軍の攘夷を助けることになる」
「家茂公も江戸に帰るってことか」
「天子様に拝謁されてからだろう。大樹公が攘夷の勅命を奉じて江戸に戻るなら、我々はそれを補佐せねばならん」
「夷狄が京を襲うとは考えがたい、その前に大坂から攻めて来るだろう。東では横浜の開港を迫られている。東国に戻れば横浜で攘夷となるやもしれん」
「せっかく京に上ったのに、とんぼ返りか……」
土方は不本意な面持ちでそう呟くと、深く溜息をついた。
「鵜殿様にこれから面会してせめて大樹公入京行列の護衛をしたいと申し出てこよう」
近藤は座敷をでて再び新徳寺に出掛けて行った。
そういった努力も虚しく、将軍上洛の前日に浪士に東帰の命が下った。来た道と同じ中仙道を通って江戸に戻れというものだった。同じ八木邸に分宿している三番組組長の芹沢鴨とその配下の新見錦らの元に近藤は駆け付けた。家茂公が京に留まる間在京し、将軍を守備する旨を訴えたいと相談した。水戸藩浪士である芹沢は、上申書を書く事になろうと渋い顔をして答えた。
「近藤、尽忠報国とほざくのは構わん。だが後ろ盾のない貴様らがここでどう踏ん張るのかは大いに見物だ」
昼間から酒臭い息で、芹沢は冷笑した。そして役人との折衝も必要だが金も必要だといって、話の途中で立ち上がると、取り巻きを連れて座敷を出て行った。近藤は己に成す術が何も見当たらないことに焦りを感じ始めていた。将軍様にはどんなことをしてでも、京に留まって貰わなければならん。攘夷のために。
徳川家茂が上洛した日の朝、芹沢鴨が部屋に居ることを確認した近藤は、芹沢率いる三番組浪士たちに見物も兼ねて、二条城まで人出の中を警備に出掛けないかと声をかけた。鼻先で一蹴されることを覚悟の上のことだった。だが、芹沢達一向はこの誘いを快く受けて、共に八木邸を後にした。家茂公の行列を遠目に眺めただけで終わったが、腰に刀を下げて馳せ参じた近藤たち試衛館の門人たちは、江戸から将軍の攘夷祈願を護衛する為に上洛した気運を再び取り戻すことが叶った。
二条城内に組織された臨時の幕閣は、先に上洛していた講武所の高橋泥舟に新たに浪士取扱を任じ、浪士を引き連れて直ちに江戸へ戻るように命を下した。そして、現取扱の鵜殿には、そのまま京に留まり、在京浪士を率いて京市街を見廻るようにと指示した。
この指示が鵜殿から近藤に伝えられたのが三月八日の朝の事である。
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庇の影
朝の稽古を終えて、勝手口で昼餉の準備をしていると、東御役所より文が届いた。
すぐに先生の元へ文を届けた。先生は、布団から出ていざるように自分に近づき、ゆっくりと正座をした。黙ったまま自分に腰かけるようにと仕草で伝えると、受け取った文を開いて読んだ。
「石橋十四郎からだ。分限帳にそなたの帳付が整ったと」
「これでよい」
「今後、身元検めがあっても御役所の帳付があると答えればよい」
「ありがとうございます」
「太助が今朝報せにきた。家茂公が無事に二条城に入られたそうだ」
「そなたの江戸の道場主だが、幕府浪士の宿所がどこか判った」
先生は石橋十四郎からの文と一緒にもう一枚半紙を取り出すと、そこには「壬生村新徳寺」と走り書きがされていた。
「壬生村は四条を下ったところだ。坊城通にある寺だ」
「道場やわたしの世話はよい」
「積もる話もあるだろう。京にいる内に訪ねて行けばよい」
自分は「はい」と返事をした。先生は、勝手口から米でも乾物でも持っていくようにと言って微笑んだ。四条、坊城通、新徳寺。心の中で繰り返し場所を覚えた。二条城の外濠で見た守備方の詰め所を思い出す。皆が上洛している。近藤先生、土方さんにお会いして無沙汰を詫びたい。
——剣を置くと。虚ろになるものだと思っておった。
突然、先生が話掛けてきた。自分は長く考え事をしていたらしい。顔を上げて先生を見ると、先生は開け放った障子の向こうに顔を向けていた。明るい光が縁側を照らし、障子を通して柔らかく白い影が畳に出来ている。
「道場の門人に剣を捨てたものがおる」
「もう何年も昔。まだ私が道場を引き継いで間もなくの頃、その者は丹波からやってきた」
「加納長次郎は、三田藩の十文字家に代々使える家で、父親が上意討ちをしたことで騒動の末に同僚に殺められた」
「長次郎は仇討ちをするために、京にやってきた」
「お家取り潰しの汚名を濯ぎたい。その一心で稽古に励んだ」
——元より才もあり、一年の精進で奥許しを与える程に腕を上げた。
「正式な帳付の元、東御役所のお白洲で仇を打った。三田藩の家老も立ち合い、お家の再興、藩士として召し抱えられることまで決まった」
「だが長次郎は、三田藩に戻ることを拒んだ。家名を絶やすことは忍びないが、剣を置くと」
齢二十五で長次郎は出家した。両親を弔い、己が仇の相手を弔い続けると。剣を振るう意味を失くした。そう言っておった。
「わたしは長次郎が仇打ちを果たし、気持ちの落ち着き先を失ったのだと思っておった」
「全てが虚しくなったのだろうと……」
——何故剣を振るうのか。
人を斬ることに道理は必要かと問わば、そなたは必要だと答えるだろう。わたしは、そこに道理は要らぬと思っておる。刀は斬るために振るう。己が斬られぬよう精進する。
「そなたは笑うだろう。刀で膝を切られ、それでも縋り付くように生きる愚か者がここにおる」
「多くを殺め、それでもただ生きていくしかない」
「己が斬られれば、負ければ死ぬ」
「そこに虚しさはない」
自分は何も答えられなかった。これは、江戸で人を殺めてから、ずっと己に問いかけていることだ。堂々巡りのどうしようもない問いかけ。まるで呪詛の言葉のように、答えがみつからず深い闇の底に己を追いやる。
「長次郎は、丹波亀岡に庵を結んでおる。朝露を集め。一握りの米で粥を炊き。念仏三昧の毎日だそうだ」
——ここを畳んだ後は、長次郎の元へ行こうと思っている。
「母親の菩提を弔い。己が殺めた命のために念仏を唱えようとおもう」
「大いに遅い。機を失してから長くが過ぎた、とうの昔にやっておかなければならなかった」
「そなたに言っておくことがある」
先生は自分の瞳をじっと見詰めて、頷いた。
そこに光があるのなら、臆せずに進みなさい。
陰に引き戻されても、光をみることを忘れてはならぬ。
恐れてはならぬ。
自分は「はい」と返事をした。声が震える。喉に熱い塊がつかえたように感じる。
「先生、わたしは……先生から教わりたいことがまだ」
「必要なことは全て、わたしの知っている事は全て教えた」
「そなたと手合わせをして、剣を置く決心がついた」
「心より礼を言う。道場に来てくれてありがとう」
「源之助には、礼を尽くしても、その恩に報ずることは叶わぬ」
「恩は返せるときに返すことだ。機を待ちあぐねていてはならぬ……」
なんとか震える声で「はい」と返事をすることができた。膝に置いた手を強く握り絞めて涙を堪えた。
「先生に学んだことは決して忘れません」
「これからも精進して参ります」
畳に両手をついて深く一礼した。恩を返すには大きすぎる。ただ感謝をして、己に出来る限りのことを全力でやるしかない。
俺にはそれしかない……。
決心をしたら、全てが明確になった気がした。
己が持てる全ての力を、浪士の元で使おう。それが、己を認めてくださった師と仲間への恩返しになる。
そうして日々精進すれば、きっといつか先生への多大な恩義に報いることが叶うのだろう。
つづく
→次話 庇の影 その七へ
(2020/07/03)