第十一部 礫(つぶて)

第十一部 礫(つぶて)

薄桜鬼奇譚拾遺集

 西本願寺に屯所が移って一年経った頃の話。

 梅雨空が続いたある日、屯所に小石が降って来た。小さな礫が屋根の上に落ちてぽつぽつと音を立てている。北集会所と阿弥陀堂の間で独り庭掃除をする千鶴にも小さな石の粒が降りかかった。千鶴は驚いて、箒を持ったまま集会所の昇り階段を駆け上がった。肩や袖に残った礫を手ぬぐいで払った千鶴は、無数の小石が集会所の軒先から落ち続けているのを見て驚いた。まるで雨粒のように。灰色の小さな丸い小石が降り続けていた。千鶴は空を見上げたが、小石は北集会所の屋根の上にしか落ちていなかった。渡り廊下の向こうの阿弥陀堂の屋根には、なにも降っている様子がなく、千鶴は廊下の端の欄干に手をかけて、頭の上に手ぬぐいをかぶり小石を避けながら天井の上を覗いてみた。小石はずっとぽつぽつと降り続けていた。

 不思議な事があるものだと千鶴は思った。空から落ち続ける小さな石粒。千鶴は、廊下にたまった小石を手に持っていた箒で払って庭に落とした。すると、コトンという音が廊下の先でした。千鶴は庇から何かが落ちたと思って駆け寄っていった。ちょうど千鶴の部屋の前の廊下だった。何か光るものが転がっていた。千鶴はそっと手にとってみた。それは碧く輝く石だった。

「綺麗」

 千鶴は呟きながら手のひらの上の光り輝く小石を見つめた。空から降ってきたのかしら。千鶴は周りをきょろきょろと確かめてみた。廊下には光る小石は見つからなかった。もう一度掌の小石を眺めながら、廊下の欄干に手をかけて庇の上を覗き込んでみた。すると、ちょうど頭上からまっすぐに、光輝くものがゆっくりと降りて来た。千鶴は目を見張った。

 碧い光はゆっくりと千鶴の目の前に下りてくると。空中で宙に浮いたまま止まった。千鶴はそっと光に手を伸ばした。触れた途端光は明るい光を放った後、千鶴の手のひらの中に納まった。さっき廊下に落ちていた碧い小石と同じものだった。千鶴は左手に持った石と宙に浮いていた石を見比べた。形が少し異なるが、同じ大きさの碧い石だった。千鶴はこの石も美しいと思った。暫く石に見とれていると、また庇から同じように碧い光が下りてきた。千鶴はもう一つの石も手に取ることが出来た。三個の光輝く碧い石。千鶴はその石をそっと手ぬぐいに包むと部屋に持って入った。

「一体、どうしてこのような石が落ちてきたんでしょう」

 千鶴は文机の上に置いた石を眺めながら、独り言ちた。急に空から小石が降ってきて、光る石が下りてきて……。そうだ、廊下に降り積もった石の粒を掃いてしまわないと。千鶴は、光る石をそのまま文箱の中に仕舞うと、再び廊下にでて周り廊下に降り積もった礫を箒で掃きだした。全部掃き終わる頃には、夕餉の支度をする時間になった。千鶴は箒を仕舞って、台所にそのまま向かった。

 夕方に巡察から戻った平助が、廊下で大きな声をあげているのが聞こえた。

「なんだ、誰が石粒を廊下にばらまいた」

 千鶴が台所から廊下に階段を上がってみると、また礫が廊下に降り積もっていた。ぽつぽつと音をたてて、庇から粒が落ち続けている。廊下で裸足で歩く平助は、小石が足の裏に当たるのが痛いと文句を言っていた。その背後から、巡察から戻った斎藤が「どうした」と声をかけて来た。斎藤は、廊下の惨状を見て驚いていた。

 斎藤はいつも土埃のついた足袋を丁寧に手ぬぐいで叩いてから廊下に上がるが、今日は拭っても意味がないと思い、礫を踏みながら廊下を歩いた。千鶴の部屋の前に来ると、目を見張った。欄干の前から千鶴の部屋の障子の前まで、まるで精巧に並べたような小さな丸い石粒がぎっしりと並んでいた。水が流れるような模様が出来ており、千鶴の部屋の前だけは、寺の庭のようなしつらえになっていた。

「これは……」

 丸が描かれていたり、流れるような模様をみて斎藤は驚いた。そこを踏みつけていいものか一瞬迷ったが、そこを通らねば自室にもその向こうの渡り階段にも行けなかった。斎藤はゆっくりと廊下を歩いて、自室に入り刀を置いた。隊服を脱いでから再び廊下に出ると、渡り階段を下りて庭にでて、箒を取って来た。ちょうど千鶴も箒を取りにきたらしく、笑顔で息を切らして走ってきた。斎藤が物入から箒をもう一本とって、千鶴に渡そうと手を伸ばした瞬間、千鶴の小さな悲鳴が聞こえた。

 屋根から小石が大量に降ってきた、まるで千鶴に向かうかのように小石が束になって千鶴に当たる。斎藤はとっさに持っていた箒を刀のようにして、柄で礫を叩いた。

千鶴は着物の袖を広げてしゃがんで丸くなっている。斎藤は千鶴の前に立って守った、だが不思議なことに、小石はまっすぐ空から落ちてくるのではなく、まるで生きているかのように、宙を舞っては方向を変えて斎藤の脇をすり抜ける。そしてバラバラと音を立てて、千鶴の肩や背中にぶつかるのだった。千鶴は、ちいさく身をかがめたままひたすら耐えていた。斎藤は猛烈な勢いで千鶴の周りで箒を振り回して石を払った。石の礫は、暫く千鶴に向かって降り続けた後、ぴたっと止んだ。千鶴は、斎藤に声をかけられてようやく我に戻ったようだった。斎藤に助け起こされて立ち上がった千鶴は震えていた。肩や髪の毛に小石がついたままだった。斎藤は、手ぬぐいを袂から出すと、優しく小石と埃をはらった。千鶴は目尻に涙をためていた。呆然としながら、斎藤に払われたままになっていたが、

「斎藤さん、大丈夫ですか?」

 震える声で斎藤に訊ねた。斎藤は、「ああ」と答えた。

「怪我はないか?」

 斎藤に頬に手をかけられ顔を覗き込まれた。千鶴はようやく震えが収まってきた。その瞬間、またバラバラと音がして礫が空から降ってきた。斎藤はとっさに千鶴を抱きかかえると、渡り階段を走って、集会所の渡り廊下の内側に逃げた。廊下にバラバラと音をたってて落ちてくる礫を避けながら、斎藤は自分の部屋に逃げ込んで、障子をぴしゃりと締めた。部屋の中には礫は降ってこなかった。斎藤は、ほっとしたように息をついた。斎藤の前に降ろされた千鶴は、斎藤に礼を言った。そして、へなへなと腰を落とすように畳に座わりこんだ。そして、ずっと午後から小石に降られている、と斎藤に説明を始めた。

「昼間に急に空から、礫が。北集会所の屋根にだけ降ってて」

 黒目がちの大きな瞳は不安そうに締め切った障子の向こうを見つめていた。斎藤は、千鶴と自分の部屋の間の襖を開けると、千鶴の部屋が無事か確かめた。それから千鶴に部屋で待機するように言うと、襖をあけ放ったままにしておいた。斎藤は刀置きから打刀を掴み、屯所の屋根の上を確かめてくる、と言って障子の向こうに消えていった。

 千鶴は、部屋でじっとしていた。時折遠くにポツポツと石粒が落ちる音がしていた。



****


大広間にて

 千鶴が障子の向こうから平助に呼ばれたのは、それから半刻ほどしてからだった。平助は両掌に千鶴の草履をひっかけて、パンパンと叩いて千鶴に笑いかけた。

「千鶴、礫が当たったんだってな。ほら、もう飯の時間だ」

 そういって廊下の枯山水の上に千鶴の草履を並べて、そっと履かせてくれた。千鶴を外から庇うように平助は両手を背後に広げてゆっくりと千鶴の手を引いた。

「おっかしいよなあ、この石っころ、掃いても掃いても消えないんだ」

 平助はそう言いながら廊下を進んでいく。廊下の向こうの大広間の障子から新八と原田が顔を出していた。「お、来た来た」そう言って廊下に出てきて、千鶴を囲むように部屋に招きいれた。

「千鶴、石に襲われたってな。怪我はねえか?」

 そう言いながら、原田が小さな子供にするように千鶴の顔を覗き込んで頭を撫でた。千鶴はうなずいた。土方が腕を組んで待っていた。

「揃ったら、早く食事を終えろ」

 一言そう言うと、土方はさっさと夕餉を食べ始めた。千鶴は席について、給仕をしている井上に手伝いが出来なかったことを詫びた。井上は、「怪我がなくて良かった。さあ、たんとお食べ」と優しく笑っている。千鶴の隣の席の斎藤の膳は手付かずのままだった。大広間に斎藤の姿だけが見えない。千鶴は食事をさっと済ますと。お茶を用意しながら、斎藤がどこにいるのかと、皆に尋ねた。

「さっき屋根の上に上がって、礫だらけになったからって風呂に浸かりに行っている」

 そう言った左之助は心配はいらねえ。礫が屋根に積もってるのが、廊下に落ちてるだけだ。千鶴を安心させるようにそう言って、左之助は千鶴から湯飲みを受け取った。ちょうど、幹部全員にお茶を出し終わった頃に、斎藤が大広間に入ってきた。濡れ髪に着流し姿のまま、静かに席につくと、黙々と食事を終えた。

 膳が片付いたところで、土方が「屯所に誰かが小石をばら撒いていやがる」と話を始めた。

「斎藤がさっき屋根に上がって確かめたが、尋常な数じゃねえ小石が山のように積んであったらしい。悪戯にしちゃあ、ちょいと手が込みすぎている」

 そう土方が言ったところで、斎藤が話し始めた。

「石は、空から降って来ています。雲ひとつない天上から落ちてきています」

 皆が、一斉に顔を上げて斎藤を見た。

「じゃ、ほんとに空から降ってんのか?」

 そう新八が尋ねた。斎藤は静かに頷いた。そして、自分が阿弥陀堂と北集会所の間で、雪村に向かって礫が降ってきたのを見たと話した。礫はただ落ちてくるだけではなく、雪村を狙うように宙を舞う。最初は目の錯覚かと思ったが、雪村に向かっているのは確かだった。幸い、雪村に強く礫が当たった形跡はない、だがおかしなことが起こっているのは確かだ。そう話すと千鶴を一瞥した。

「雪村の部屋の前に、礫が並んでいます。誰かが模様を作ったように」

 斎藤がそう報告すると、平助が「俺も見た。見た」と声をあげた。

「あれ、千鶴がやったんじゃねえの?」

 と平助が千鶴に訊いたが、千鶴は首を横に振った。

「誰かが触った様子はありません。ですが、目を離した隙に、石の並びが変わっている」

 斎藤が続けて報告するのを、皆が静かに聞いていた。「まるで枯山水のように」と斎藤は説明した。それまで腕組みしていた土方が腰を上げた。

「おい、平助。千鶴とここで待っていろ。誰も広間に入れるな」

 そう言うと、残りの幹部全員で刀を手に持って廊下に出て枯山水を確かめに行った。千鶴は、昼間から屯所に起きている異変の事を考えていた。屯所の屋根から落ちてくる石粒。そして、昼間に輝く碧い石が落ちてきたことを思い出した。廊下からざわざわと土方達が戻ってきた。土方は眉間に皺をよせたまま厳しい表情で腰かけると、車座になった幹部に向かって話しかけた。

「礫が何で降り積もっているのかはわからねえ。だが、これはこいつを狙っていることにちがいない」

 そう言って、土方は顎で千鶴を指すようなしぐさを見せた。

「嫌な予感がする」

 厳しい表情のまま話す土方に、千鶴が心配そうな顔をしたまま息を呑んだ。

「こいつを襲おうって奴は、薩摩の風間ぐらいだ」
「おい、千鶴。お前なにか思い当たる節はねえのか?」
と土方は千鶴に尋ねた。千鶴は首を振っていたが、昼間に庇から光る石が落ちてきたのを見たと話した。碧い石が三つと、ぽつりぽつりと話す千鶴に、皆がなんでそれを先に言わねえんだと騒ぎだした。

「静かにしろ。おい、斎藤」

 土方は斎藤に呼びかけると、千鶴の部屋から碧い石を持って来いと指示した。斎藤は千鶴の文箱を持って広間に現れた。畳の上におかれた文箱の中に碧い石が三つ。色はさておき、何の変哲もない石ころだった。

「それでも、こんな大きさの石ころが礫にまざって降って来てみろ、大怪我するぜ」

 そう言って新八が石を手に取った。皆がそうだそうだと言っていたが、斎藤は屯所の屋根には小さな石粒しか積もっていなかったと報告した。土方は暫く考えていたが、誰が空からばら撒いているにしろ、警戒をしておくに越したことはないと皆に話した。

「風間が屯所を襲う前触れかもしれねえ」

 そう言うと、屯所の見回りを強化するように指示した。そして千鶴を出来る限り、礫から離れた部屋で休ませようということになった。土方の部屋に千鶴の布団を持ち込んで、土方が千鶴の部屋で休んだ。夜間も斎藤をはじめ、幹部全員で交代で千鶴を守ろうということに決まった。



****


 翌日の朝、厠に起きた平助は驚きの声をあげた。今度は土方の部屋の前に枯山水が出来ていた。廊下から千鶴に声を掛けると、千鶴は着替えの途中だと中から答える声が聞こえた。障子を開けた千鶴は廊下の様子に驚いた。平助は、土方さんのところへ行こうと千鶴の手を引いて千鶴の部屋に向かった。ちょうど斎藤が廊下の向こうから歩いて来た。

「今度は、土方さんの部屋に枯山水が出来てた」

平助が話すと斎藤は驚いたような表情をして、平助の背後の千鶴の無事を確かめた。

「雪村の部屋の前の礫は消えていた……」

 そう呟く斎藤は、千鶴の背後を守るように廊下を歩いて行った。土方は既に起きていて千鶴の部屋で待っていた。千鶴が無事な様子を確かめると、平助から礫が土方の部屋の前に移っていたと報告を受けた。「思ったとおりだ」と土方は呟いた。

「朝餉の前に幹部で集まる」

 そう言うと、大広間に幹部が集められた。屯所の異変は千鶴を狙ったものだと断言した土方は、幹部で交代で千鶴を護衛すると決めた。念の為に、千鶴は外出を控えることになった。屯所の中で、極力屋内の用事をすることになった千鶴は、廊下に出ることも控えるようになった。

 礫は変わらずに、空からパラパラと落ちてきていたが、日に日にその量は少なくなっていった。



***


風間千景の襲来

 風間が屯所に現れたのはその矢先だった。日が暮れかかり、本願寺の庭は青く暗い闇に包まれ始めた。風間は、伴の者を従えて堂々と門から入って来た。立ち向かう門衛が、風間に軽く手の先で振り払われて行く。全員が数軒先の塀の壁に打ち付けられて伸びていた。境内は騒然となった。風間はまっすぐに北集会所に向かって進んでくると、迎え撃つ隊士たちを次々に薙倒して行った。

 千鶴は自室で斎藤に護衛されていた。外の物音に斎藤が刀を持って立ち上がり、廊下に出ると既に風間達が阿弥陀堂と屯所の渡り廊下の前まで迫って来ていた。斎藤は、廊下で千鶴を背後に庇うように立つと、いきなり天霧九寿が襲いかかって来た。尋常ではない力で押し込まれる。返す刀で斎藤も斬りかかった。千鶴は、自分の小太刀を手に取って鞘から抜くと青眼に構えた。震えながら斎藤の援護に廻ろうと摺り足で進む。廊下の上の礫がじゃりじゃりと音を立てた。

 激しい剣戟の音がする向こうから、白い影が飛び上がってきた。風間千景が金色に輝く髪を靡かせるように走ってくる、斎藤がそれに向かって突きの構えのままぶつかっていくのが見えた。碧い影。

 ——斎藤さん。

 千鶴は心の中で叫んだ。目の前に天霧の大きな影が千鶴の小太刀に手をかける姿が見えた。千鶴の全身はすくんだ。その瞬間、真っ白な影が前を横切った。ブンっという空気が切り裂かれる音とともに、天霧が千鶴の小太刀を離して、数軒先まで飛び下がった。千鶴の目の前に、寝間着姿で八双の構えで立つ総司の姿が見えた。

「人が機嫌よく眠ってるところ、邪魔をしたのは、きみ?」

 総司の翡翠色の目が光った。背後の千鶴を庇うように顎で奥に行けと合図を送ってくる。総司はここ数日具合が悪くてずっと床に臥せていた。今朝もまだ微熱が続いて、咳が収まらず薬を与えて眠ってもらっていた。礫のことは千鶴から話をしていたが、総司は近藤さんが居ない屯所を誰にも襲わせないといって床の中で笑っていた。

 沖田さん

千鶴は、総司が殺気だった様子で構えているのを見て声をあげた。天霧は総司の激しい突きを軽々と躱すと、廊下の欄干から飛び降りて境内に戻っていった。総司は、同じように境内に飛び降りていく。千鶴は息を呑んだ。

 だめです、沖田さん。

 千鶴はそのまま境内に降り立ち駆け寄っていった。紫がかった空の下、青い闇の中で、幹部全員が風間に斬りかかって行っては跳ね返されている。風間は余裕の笑顔で幹部を足蹴にしていた。そして、千鶴が視界に入ると素早く前に進んで手を伸ばした。千鶴は小太刀を構えたが、簡単に刃先を掴まれて取り上げられた。風間の手が自分に迫る。身を固くして後ずさろうとした瞬間。視界が遮られた。

 ざーーーーーー

 耳をつんざくような音がした。千鶴の前に礫が束になって滝のように落ちている。それは大きな壁のように千鶴を風間から遮った。風間は目の前で礫を払いのけようとしているが礫は止まることなく降り続けた。そして礫はだんだんと大きくなって千鶴を取り囲んだ。大きな柱の中に千鶴を閉じ込めるような状態で、千鶴はなんとかそこから出ようとしたが礫は途切れることもなくざーざーと音を立てていた。千鶴が振り返ると、背後の土方や左之助が一生懸命手を伸ばして千鶴を救いだそうとしていたが、礫の壁に阻まれて手を中に入れることが出来ないでいた。

 助けて

 そう叫んだが、遠くに「千鶴、今出してやる」という左之助や土方の声が聞こえるだけだった。千鶴は、風間が居る方を振り返ると、斎藤と総司が風間に斬りかかっている姿が見えた。二人の動きは、礫の壁の中から見るとゆっくりと進むように見える。碧い光と緑の閃光。凄まじい剣戟で、二人が鬼たちを圧倒する姿が見えた。

 風間は、にじり下がったまま、突然闘うことを止めたようにまっすぐに立った。太刀を鞘に仕舞うと、それを傍らの天霧に渡した。

「貴様ら犬どもに用はない」

 そう静かに風間は言うと、「この礫はいつからだ」と斎藤と総司に向かって尋ねた。

「女鬼を取り囲む、その石の柱はいつ現れた?」

 直ぐに答えない斎藤たちに痺れを切らしたように、大声で風間は尋ねた。斎藤たちは刀を構えたまま、黙って風間たちを睨み返していた。

「もう一度訊く。この礫はいつ現れた」

 全く戦意を見せずに静かに尋ねる風間に、斎藤が「数日前だ」と答えた。風間は大きな溜息をついた。そして、石の柱の向こうの千鶴をじっと見つめると、境内の砂利の上に落ちている千鶴の小太刀を拾って来た。斎藤と総司は、再び風間に向かって青眼で構えた。風間は二人を一瞥すると、「除けろ」と言って石柱の前に立った。

 風間は小太刀を水平に持つと、差し出すように峰を礫の壁につけた。礫は途端に降り落ちるのを止めて、ゆっくりと地面に落ちていった。柱の中から再び千鶴が現れた。千鶴は呆然となって立っていた。風間はゆっくりと小太刀の柄を千鶴に向けて千鶴の手に取らせた。そして千鶴の手を取ると、助けるように腰の鞘に小太刀を仕舞うのを手伝った。

「そなたを守る小太刀だ。肌身離さぬでない。よいな」

 そう上から囁くように伝えた。千鶴は風間を見上げながら頷いた。青い光が見えた、千鶴の背後から誰かがが打刀の刃先を風間の喉元に突きつけた。

「そいつから離れやがれ」

 背後から凄む土方の声が聞こえた。千鶴は、土方に腕を引かれた。土方は引き寄せるように千鶴を抱きしめると、ゆっくりとにじり下がった。ずっと刃先は風間に向けられたままだった。

「雪村千鶴、この礫がそなたの前に現れたのはいつのことだ」

 風間が千鶴を見つめたまま尋ねた。千鶴は背後から左之助にも抱きかかえるように囲われた。

「数日前です」

 千鶴は風間に気丈な様子で答えた。

「礫がその身に当たったのか」

 風間は千鶴の目をじっと見つめて尋ねた。千鶴は「はい」と答えた。その間にも風間の背後で斎藤と総司が警戒を解かずに剣を構えていた。風間の深紅の双眸が光った。歯ぎしりをするような表情で傍らの土方を睨みつけた。

「貴様ら、幕府の犬どもは。傀儡の如く益体なきもの」

 そう言って一歩前に進むと、絹の羽織を脱いだ。そして千鶴を庇うように立つ左之助の前に立つと、背後に立つ千鶴の手を引いて羽織を千鶴の頭からそっと被せた。原田が手を出したが、強く左手で払った。そして、羽織で包むように大事に千鶴を抱きかかえた。皆が風間に飛びかかろうとしたが、風間は大声で「部屋に案内しろ」と横柄に命令した。

 土方は、風間が礫の異変に対して思うことがある様子を見て、皆に一旦剣を引くように命令した。土方が風間の前に立つと、風間は「雪村千鶴を礫から離れた場所へ」と静かに指示した。

 斎藤と総司は刀を仕舞ったが、鯉口をきったまま足早に風間の背後を追いかけた。天霧が傍で警戒しているが、何か動きがあれば一気に鬼たちを斬り捨てられる態勢を保っていた。

「案ずるな。礫に当たらぬためだ」

 風間は、羽織に包まれたまま身をすくめている腕の中の千鶴に優しく語りかけた。大広間に案内された風間は、千鶴を畳に降ろした。



*****

魔縁

「今宵はそなたを連れ去るつもりだったが、そうはいかぬ」

 風間は千鶴に向かって語りかけた。いつもの恐ろしい様子の風間とは違い、まるで礫から千鶴を守るようなことを言う。

「空から礫を降らせておるのは【魔縁】であろう」

「まえん? なんだそりゃ。鬼の仲間かなにかか?」

 新八たちが風間に尋ねた。「我ら鬼の一族ではない」と風間が答えた。風間は土方の隣に座る千鶴に尋ねた。

「雪村千鶴、そなた。屯所の外に出た折、【魔縁】に出遭ったことはないか」

 千鶴は首を横に振った。風間は、ふっと鼻で笑うと。

「人間どもは、【天狗】と呼ぶ」

 そう風間が話すと、その場は「天狗」と騒わぎ始めた。千鶴は、天狗と聞いて、絵草子で見た赤ら顔の鼻の長い恐ろしい顔の怪物を思い浮かべた。何も答えずに黙っている千鶴を見て、風間は続けた。

「人間どもが異形として伝える鬼の姿も、【天狗】の姿も実際の姿とは似ても似つかぬ」

「雪村千鶴、そなた。屯所の外で、市中の者ではない外者と接触はなかったか」

 風間は再び尋ねた。千鶴は、思い返した。屯所の外へは時折、巡察に付き添うことがある。市中では主に商店主に父親の行方を尋ねることが多い。外者と出会うことは考えられなかった。じっと考え込む千鶴を見ながら、斎藤は巡察に一緒にでた千鶴に異変がなかったか、誰か怪しい者が近づいたことがないか思い返した。

 千鶴はふと、顔を上げて。そういえば、と話始めた。

「ございます。もう一月も前でしょうか。市中で。高瀬川の近くの水飲み場で」

「足を怪我した方にお会いしました」

 皆が一斉に千鶴の方を見た。

「山伏のような出で立ちで、一枚刃の高下駄の鼻緒が切れて、転ばれたのか指の先が擦り切れて血を流されてました」

「ちょうど、竹水筒にお水が入っていたので、砂利を洗って差し上げて。鼻緒を直すのに晒しの切れ端をお渡ししたら、大層喜ばれて」

 とつとつと話す千鶴の話を皆が静かに聞いていた。千鶴は、巡察にでる時も常に用意周到で怪我をした隊士をすぐに手当てできるように薬や晒しを準備していた。

「立派なお侍様でした。普段は山で剣術の修行をされていると。見たこともないぐらい長い立派な大太刀を腰に佩いていらっしゃって」

「どこのものと言っておった?」

 ほぼ同時に風間と斎藤が千鶴に尋ねた。

「確か、鞍馬と。鞍馬山で【京八流】を学んでいると」

 風間の眼が光った。鞍馬山。思った通りだと合点がいった。一方、斎藤は【京八流】という言葉に衝撃を受けた。全ての剣術の祖と言われている幻の流派。それを学ぶ者がおるのか。

「名はなんと名乗っておった?」

「常盤一綱と。一に綱と書くと」

 なんだそりゃ。出来すぎじゃねえか、と新八が胡坐をかいて顎を掻いている。

「この世の中に【京八流】に【常盤】に【鞍馬山】って」

「源九郎義経かよ」

 新八と平助が大声で声を合わせて叫んだ。二人で「なあっ」と言って膝を叩いてがはははと笑いあった。

「常盤一族か」

 そう風間が呟いたのを斎藤は見逃さなかった。天霧が風間に向かって頭を垂れたのが見えた。風間はすっと立ち上がった。

「土方と言ったな。【天狗礫】からこの者を守れ」

 天狗の一族は我ら同様、人と交わる者もいれば、そうでないものもいる。人間を連れ去る前に【天狗礫】を降らせる。

「【魔縁】は時折、人の世に現れその命を一族に組み入れる」

「礫に当てられたものは、生涯そのものと添い遂げるように【印し】をつけられたと同様。常盤一族は古き一族。おそらく、雪村千鶴を一綱とやらが見初めたのであろう」

 見初めた

 斎藤は息を呑んだ。千鶴を見ると、千鶴は言われていることを理解していないように、ぼんやりとしている。天狗の嫁になる気はあるのかと風間は尋ねた。千鶴は戸惑った様子だった。

「そんな事を考えたこともありません」

 千鶴はそう答えると、じっと畳をみた。だが、心にいつか逢った一綱の優しい瞳があった。千鶴がそれが斎藤の瞳と同じだと思っていた。ふと顔を上げると、自分を見つめる斎藤の姿があった。斎藤は、内心狼狽した。自分の知らないところで、雪村がどこかの剣術使いに出会い見初められた。息をひそめたまま動けない。雪村。じっと二人で目を合わせていたが、斎藤が顔色を失う一方で、千鶴の頬は紅潮していった。

 風間は、頬を染める千鶴を見て思った。天狗に魅入られたか。

「鞍馬に向かう。礫の呪詛を取り払う」

 風間はそう言って障子を開いた天霧と一緒に廊下に出た。

「新選組に告ぐ、この者に礫が当たらぬよう」

 そして、振り返りながら千鶴を見つめると風間は優しく語り掛けた。

「鬼は約束を決して違えぬ。いかなる禍もお前の身に降りかかることはない」

 そう言って風間は、天霧とともに廊下の欄干の向こうへ一瞬で消えて行った。



******

碧い双眸

 風間達が消えたあと、幹部たちが今後どうするかを話し合った。

 千鶴は、ずっと頬を染めたまま俯きがちだった。千鶴が動揺していると思った左之助は優しく千鶴の肩に手をかけた。

「千鶴、大丈夫だ。でも今夜は、大変だったな。怖い思いをしただろうに」

 そう言って、千鶴の頭を大きな手で撫でた。

「ほんと、千鶴が小太刀構えて飛び出して来た時は、俺心底びっくりした」

 平助が笑っている。「あの風間に向かっていくんだからな」と皆が感心した。頭を撫でられながらも、千鶴は【常盤一綱】の事をぼんやりと考えていた。ひと月前に出遭ったお侍さま。千鶴が屯所の外で見ず知らずの人間に全く警戒をせずに、怪我の手当てをしたのには理由があった。

 あの日、巡察は三番組と出たが、斎藤は一緒ではなかった。ちょうど、斎藤は土方に随行して京を離れていた時期。ひと月ちかく屯所を留守にしていた。高瀬川の水飲み場で、下駄の鼻緒が切れて困っている人を見た時、千鶴は斎藤がそこに立っているのかと思った。

 斎藤さん?

 そう呼びかけそうになったぐらい、目の前の武士は斎藤にそっくりだった。全身真っ黒な袴姿で、碧く深い切れ長の目。

 いつ江戸から戻られたのですか?

 思わずそう訊ねてしまいそうになるぐらい、そっくりだった。唯一髪の毛だけが、漆黒の総髪で短く顎のあたりまでしかなかった。親切に手当てをした千鶴に、相手の武士は大層喜んで是非礼をしたいと申し出た。千鶴は断った。名前を聞かれ、西本願寺の新選組屯所に身を寄せていると伝えると、その武士は【常盤一綱】と名乗った後に、かならず近く相まみえましょうと頭を下げてその場を去った。

 ほんの短い時間の出来事だが、千鶴は暫く会えない斎藤が傍に戻って来たような気がして、その日は一日穏やかに過ごせた。その後、江戸から無事に斎藤が土方と戻って、再び屯所の日常が戻って来た。千鶴は、高瀬川のほとりで出会った斎藤にそっくりな武士のことをすっかり忘れてしまっていた。

 千鶴は混乱していた。自分は、知らぬ間に【礫の呪詛】で【印し】がついた。それも、一度会ったきりのお侍さまが【天狗】の一族だとは。いまだに、風間が自分たちを鬼の一族と名乗っている事でさえ不思議で仕方がないのに……。ただ千鶴には、あの深い碧い瞳の侍が悪い者だとは思えなかった。斎藤さんと同じ碧い瞳。

「あの胡散臭い風間の言うことを話半分に聴いたとしても、俺らは千鶴にこれ以上危害が及ばねえように守る」

 土方の声が広間に響いた。

「鬼でも天狗でも、こいつを襲う奴らからしっかり守れないなら、新選組の名が廃る」

 こいつは部屋で暫く待機させる。礫が当たらないように。

 千鶴には総司の世話を頼む。

 廊下や建屋の外には極力でないこと。

 幹部と相馬、野村で常に護衛だ。わかったな。

 土方の指示に皆が「承知」と答えた。



****

碧い石

 風間が屯所を去ってから数日が経った。

 その間も礫は空から降り続けていたが、ある日を境にぴたっと止んで。屋根や屯所の廊下にあった礫は次第に雪が解けるように消えていった。幹部も千鶴も、天狗礫の呪いが消えたのではないかと、障子の向こうの風景を眺めながら話していた。

 風間が屯所に現れた。千鶴の為に、鞍馬に向かっていた風間だが、夕闇に現れる風間の姿はやはり、いつもと変わらず威圧的で、思わず屯所の隊士たちは身構えて警戒した。風間は、表階段の前に立つと、「雪村千鶴をここへ連れて来い」といつもの如く横柄な態度で命令した。

 千鶴は、表に向かうのを止める相馬と野村を説き伏せて、風間に応対した。

「風間さん、どうぞこちらへ」

 そう言って、屯所の客間に風間と天霧を通した。そして、手厚くもてなすように恭しくお茶を用意して差し出した。風間は、義理堅く丁寧に動く千鶴の様子に鬼の一族の美徳を感じることが出来た。間もなく土方が客間に現れた。

「で、どうだったんだ」

 いささかぶっきらぼうに尋ねる土方に、鼻先で笑うような態度で風間は鞍馬から戻ったと答えた。

「新選組の屯所に礫を降らせたのは、古い魔縁の一族。常盤家の棟梁だった」

「我ら鬼の一族は、魔縁とは交わっておらぬ。【礫の呪詛】には大きな齟齬があった」

「礫は、常盤一綱の千鶴への想いであって邪念も、【印し】でもない」

 ゆっくりと話す風間の話を土方は腕を組んだまま黙って聞いていた。

「魔縁と聞いて、人は【心】や【情け】を解さぬ化け物だと思っているのだろう」

 風間は、土方の目をじっと見つめると。だが違う。そう強い口調で話した。常盤一綱は、雪村千鶴と市中で出逢った。この者の振る舞いに魅入られ、再び逢いたいと願った。礫はそのような想いから生まれる。礫となった想いは屯所に降り続けた。

「常盤一綱が言っておった。親切な其方を禍から守るよう、【礫】を三つ贈ったと」

 風間に話しかけられた千鶴は、三つの礫と聞いて碧い石を思い出した。「はい」と呟くように応えた千鶴は、「確かに、碧く光った石を」と言って、客間を出ていくと、自室から文箱を持って再び現れた。文箱にはいっている碧い石は、千鶴が手に取ると、再び眩しいぐらいの光を放った。土方は目を見開いてその様子を見ていた。千鶴の掌で瞬く光はしだいになくなって、再び普通の石に戻った。千鶴は丁寧に石を文箱に戻した。

「では、これは常盤様がお守りにと私に下さったものなんですね」

 千鶴は嬉しそうに微笑むと「大切にします」と言って、文箱の蓋を締めた。風間は決して魔縁の一族は人を浚うことはないと話した。

「山を守り、市中に住まう人々と人の世を離れたところから見守る。それが常盤一族の古よりの使命」

 風間は、だから安心しろというと、千鶴の煎れたお茶を一服して立ち上がった。そして、千鶴に【人の世の禍】から逃れ、我々同胞の元へ来ないかと手を差し出した。それは、いつもの威圧的な物言いとは程遠いものだった。慈しみと情のこもった眼差しで自分を見つめる風間に千鶴は驚いた。

「待ちやがれ」

 土方の声が客間に響いた。千鶴は、立ち上がって風間の眼の前に立った。そして深々と頭を下げて、礫のことで鞍馬山まで出向いた風間に礼を言った。そして、西国に行くことはできないとはっきりと答えた。

「私には、父を探す使命があります」

 まっすぐと風間を見つめ返す大きな瞳を見て、風間は微笑んだ。目の前の女鬼にとって、雪村綱道は、命を賭してでも探す必要のある存在なのだろう。この強い意志はこの者が高貴な生まれである証。風間は、いまひと時は、雪村千鶴の想いを尊重しようと思った。

「次に会う時は、雪村千鶴。必ずそなたを連れて行く」

(西国の鬼の郷へ)

(すべての悲しみや憂いのない我が郷へ)

 千鶴は何も言えないままでいた。ただ、風間が力づくではなくどうしてこのように振る舞うのかが解らず。じっとそこに立ちすくんだまま風間の深紅の瞳を見つめていた。

 風間は、天霧に促され廊下に出た。廊下では、抜き身を持ってかまえた相馬主計と野村利三郎が立っていたが、風間は鼻先でふっと笑っただけで前を通り過ぎ、あっという間に屯所から姿を消した。



***


 その夜、幹部が集められ、風間が鞍馬山から市中に戻り、屯所に現れたと土方から報告をした。

「じゃなにかい。天狗の奴さん、千鶴ちゃんを見初めて、礫で惚れたって知らせてたってことか」

 新八が土方に訊くと、そうだと土方が答えた。

「傍迷惑な天狗野郎だぜ。まったく。屯所が石だらけになったっつーの」

 平助が胡坐をかいて憤慨した。

「いっくら千鶴が可愛いからってさ。石をぶつけてんじゃねーよ」

 ずっと小言を続ける平助の隣で原田が笑っていた。

「一目会って想いが募っちまうことも、あるんだろうな」と原田は微笑みながら感心していた。

「なあ、三番組の平隊士がその天狗の棟梁を見たって話してたが、斎藤にそっくりだったってよ」

 原田が斎藤に話しかけた。斎藤は目を見張ったまま何も言えないでいた。

「おおかたあれじゃねえか。千鶴も斎藤に似た男だったから、警戒もしねえで親切に下駄の鼻緒を直したりしたんじゃねえか」

 原田がからかうように斎藤にそう言うと、斎藤の頬はみるみるうちに赤くなった。土方がどちらにしても、今回の騒動はこれで一件落着だと宣言した。

 風間の野郎、ちっとは見直したが

 相変わらず胡散臭い奴だ

 土方は、あいつは千鶴を西国に連れて行くだの迎えにくるだの、執念深い野郎だと言って笑った。そして、これからも千鶴と屯所を守ることが俺らの仕事だってことは変わらねえと宣言した。



****


 それから、屯所に平穏な日々が続いた。屋根や廊下に降り続けた礫は次第に消えていった。

 ある日の午後、お昼の片付けが終わってほっと部屋で一息ついていた千鶴は、廊下に物音ががしたのを聞いた。誰かが通った? 人の気配を感じた千鶴は、障子を開けて廊下を見まわしたが、誰も歩いている姿が見えなかった。不思議に思いながら、ふと部屋の外の柱に文があるのを見つけた。黒い大きな羽根に射られたように柱に刺さっている文をそっと背伸びをして取り外した千鶴は

文を開いてみた。それは常盤一綱からのものだった。

 雪村千鶴殿

 おくりたもうた礫なれば
 なにとぞお傍にもちたまうよう願い候 
 さればいかにもまぼり奉らん
 一綱

 まぼり奉らん

 守りたてまつらん……。

 とても古風な文体で見事な手跡で書かれた文に千鶴の心は動かされた。お礼をどう伝えれば良いのか。文には差出人の名前のみで返事の書きようがなかった。だが、千鶴は部屋に戻ると、文箱の碧い石を手に取ってお礼を伝えた。

「常盤様、ありがとうございます。礫は大切にいたします」

 千鶴がそう伝えたのに応えるように碧い石はひかり輝いた。千鶴は碧い石と文と黒い羽根を文箱にしまって大切に保管した。

 その後、二度と屯所に礫が降ってくることはなかったが、何かの折に文箱を開けると三つあった石が一つ消えてなくなっていた。千鶴は、自分を守る石が身代わりになっているのではと思い。困ったときには碧い光を思い出すようになった。心に思う光は、不思議と斎藤の瞳の色と重なった。そして斎藤と眼を合わす度に、その優しい深い碧に自分は強く守られているような気がして、心の底から安心するのだった。







(2018.11.03)

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