ブログ【小説進捗報告】戊辰戦争、斎藤さん考察

ブログ【小説進捗報告】戊辰戦争、斎藤さん考察

皆さん、こんにちは。蒸し暑い日が続いていますが、お元気にお過ごしでしょうか。

戊辰一八六八の続きを書きながら、相変わらず会津周辺の山岳図や古い地図ばかり眺めています。全力で脳内タイムトリップ中。心は幕末会津に飛んでいます。

先日、ずっと長く壊れたままだったアンテナ受信機が修繕されて、久しぶりにBS12の「奥山えいじこころのふるさと会津」を観ました。演歌歌手奥山えいじのプロモーション兼会津観光PRが趣旨の番組です。

今回も濃くてゆるいスタジオ収録。↑OPソング「只見線恋歌」ゲストは会津歴史研究家の石田明夫氏でした。

「我々、会津の人間にとって【先の戦争】会津戦争のお話を聞きたいと思います」

MCの言葉が熱い。やっぱり、会津戦争は、会津人にとって【先の戦争】なんですね。京の人々にとって「応仁の乱」のような。そして、テーマは【会津の義】でした。

大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、
列国の例を以て自ら処るべからず。

会津は、徳川幕府に忠誠を誓いなさいという藩祖保科正之公の家訓をずっと幕末まで守り続けました。「義は正義の義であって、会津人はそれを貫いた」と石田さんは熱く語っていました。当時は、武士だけでなく農民も会津を守る為に戦い、会津藩は武器の使い方や兵術を末端の領民まで浸透させました。兵術はフランス式だった為に、号令を「アン、ドゥ、トロワ」とフランス語を教わったという農民の記録が残っているそうです。

どうして戦争をしなければならなくなったのか?

MCの質問に、「大政奉還で、本来なら旧幕府は朝廷側と連合の新しい体制で政を行おうとしていたところを、薩摩長州がそれを破ったから、会津藩は旧幕府を守る為に正義を貫いた」と説明されていました。さすが会津人、胸熱く語ります。戸ノ口原の映像が映って、会津藩兵のお墓の画像が沢山紹介されました。(緑が美しい場所に、当時の農民が密かに白虎隊士を弔ったお地蔵さまを象った小さなお墓が残っています)奥羽越列藩同盟について、白河戦争開始時には、フランス軍の協力を得て新しい政府を東北で樹立しようという計画もあったと説明がありました。輪王寺宮を立てての「東北朝廷樹立説」でしょうか。これは私も初めて知りました。

「同盟の中心は【仙台伊達藩】にもかかわらず、母成峠の戦いで敗戦した時に、仙台軍は戦況を見て会津入りせず、猪苗代経由で米沢に向かい四千の兵を連れて仙台に戻ってしまったんですね」

番組メインの奥山えいじが仙台出身歌手にもかかわらず、もう一人のМCが多少恨み節で語っていて、奥山えいじさん、返す言葉もない様子でした。石田さんが、白虎隊も勝てないということは、ある程度判っていたけれども、正義の為に戦ったんです、と語っていたのが印象的でした。

会津に来てもらって、会津の心、歴史を知ってもらいたい。

番組司会者は石田さんのお話をこう締めくくっていました。このほか、東山温泉の芸子さんの紹介があり、奥山えいじの「陸羽西線」やベストアルバムの演歌PVが断続的に流れて終わりました。奥山えいじも番組内容も、相変わらずローカル色が濃くてとっても素敵です(・∀・)

丁度、戊辰一八六八の続きを書いていて、会津藩と旧幕軍、同盟軍の諸藩の動きをつらつらと考えるのに役に立ちました。石田さんは当時の古写真を沢山パネルにして見せて、古戦場の風景と現在の緑豊かな会津の風景の映像とが対照的でした。

ずっと斎藤さんが会津に残る決心に至る、斎藤さんの心の動きのことを考えています。

少し、歴史上の斎藤一と薄桜鬼ゲームの斎藤一の人となりの考察を書きます。二次創作的解釈を多大に含みます。

斎藤一にもし「思想」があるとしたら。それは政治的なものではなく、己の中の信念でしかない。幕末に生まれ、足軽中間の出自で、試衛館道場や浪士組、後に新選組に入隊し、佐幕派の会津藩に所縁が出来た。近藤さんが「攘夷」を思想として持ち合わせていた事に「賛同」はしていたかもしれませんが、政治的な部分より、近藤勇、土方歳三、新選組、京都守護職、会津藩の命令にひたすら従い、恩に報いることに尽くしたように思います。かと言って、何も考えずに近藤さんや土方さん、会津藩や幕府を妄信しているわけでもない。決して滅私奉公ではない。必ず、先に己の中の想いというのがあって。それに従い生き抜いた。そんな姿が思い浮かびます。

薄桜鬼の斎藤一は「刀」好き。自身も新選組の「刀」になりたいと思っている。「さぶらう」事と「刀を振るって」新選組に役立ちたい、会津藩に役立ちたい一心。日々鍛錬して剣を極めたのも、これが唯一の自分の道だと思っている。己の信念の強さを信じているからこそ、尊王派の志士の「思想」の強さが脅威になることを実感していて。それに対抗するには、信念で立ち向かうしかないと覚悟している。命を賭してでも。京に居た頃からこの気持ちは強かった筈。

そして、慶応四年四月から新選組を率いて闘った数か月の間に己の正義(誠と義)が更にしっかりと確立されて行ったのではないかなと思います。同盟軍の諸藩は会津藩も含めて、リーダーシップの欠如が著しく、厳しい戦況の中に居た斎藤さんはそれを痛感していました。「恭順か抗戦か」は最後まで会津藩の中でも意見が分かれていて、藩政自体が揺らいでいたのは事実です。全く蚊帳の外のお客さん小隊だった新選組は、会津軍の末端にいて。新選組のことを会津藩は全く気に掛けてはいなさそうです。新選組に限らず、会津軍は旧幕府軍伝習隊の事もケアする余裕はなかった。そういった状況の中で、それでも斎藤さんは会津を守る為「徹底抗戦」を選び、(ゲームでは描かれていませんが)最後まで戦い抜きます。会津藩家訓に殉ずるその生き様は、最後まで会津を見捨てなかった「新選組の斎藤一」として、後世の今会津人に大層慕われる存在になっています。

薄桜鬼の斎藤さんが、どうして会津に残る決心をしたのか、そこを小説でしっかり描きたいと思っています。ちょっとテーマが逸れるかもしれなくて心配ですが、脱線しないように土方さんが会津を離れ、北上を決心していった部分も描きたいです。

以前に書いた「斎藤さんと刀の話」で描いた如来堂の闘いや、斗南シリーズで断片的に回想として描いた母成峠の戦いの場面。当時はエピソード同士を繋げるつもりはなく、大まかな構想で書いていました。今は、パズルを繋ぎ合わせるように、過去作を物語全体の中に組み入れて形作っています。

斎藤さんと千鶴ちゃんの二人の恋の行方もしっかりと描きたいと思っています。目下脳内トリップを深めて猪苗代湖南、郡山、会津城下、北会津の斎千を想像中。

今日は、八瀬で療養中の左之助さんのエピソードを入れようと新たな構想が浮かんで。たぶん番外編か幕間に閑話として挿入することになりそうです。

小説を書く息抜きにずっとプレイしていなかった遊戯録を始めて、少しずつ進めています。斎藤さんエピソードは勿論の事、土方さんのエピソードが素敵でたまらなくて。ひじちづで幕末の一篇を書きたくなってしまいました。ミニゲームをクリアーしないとエピソードに進めない仕組みはついつい必死になってしまいますね。SSLもそうですが、ミニゲームもそれぞれキャラの特性が出ていて、プレイしていると可笑しいです。

真改キャラが全員ミニキャラで出て来るのも新鮮で、続きをプレイするのが楽しみ。つい時間が経つのも忘れて、小説に戻ることが出来なくなってしまいそうです。

長々と進捗報告をしてしまいました。小説はじっくり書き進めています。

もう暫くかかると思いますが、書きあがったらアップしますね。

読んで下さって有難うございます。

それでは、また✋

ちよろず

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