お題『紅』
薄桜鬼小品集 その4
雪村千鶴が新選組屯所にお預かりの身となった時、屯所内で生活するのに女であることは隠すように土方から命令された。江戸の家を出たときに、身を守る為に男に見えるように、髪を後ろで高く元結いにした。着物も薄い宍色(ししいろ)の長着に藍白(あいじろ)の袴。襦袢も全て白いものだけを身につけた。小太刀を帯刀したら、十分男子に見える。千鶴は自信を持って、自分の旅装束を確認してから家を出た。持ってきた着物は、これきり。まさか、京でその後、その格好のまま長く暮らすようになるとは、思ってもいなかった。
男装束に身をやつし新選組の屯所で生活を始めた千鶴は、夏の間も、江戸を出てきた時に着ていた着物を単衣にして着ていた。京の夏は江戸とは比べものにならないぐらい暑かった。だが、千鶴は風呂上がりも袴着で通した。唯一、寝間に入る時だけ、寝間着に着替えた。
この寝間着だけは、薄紅色の浴衣を着た。部屋の中では髪も下ろす。一日の中で、唯一女の格好でいる時間。昼間にずっと胸に巻いている晒しもとって、本当に涼しい。落ち着く時間。眠りにつくまで、縫い物をしたり、貸本屋の本を読んだり、日によっては、明かり取りの窓から、時折気持ちの良い夜風が吹くこともあった。
新選組の幹部は、千鶴がこの姿で部屋で寛いでいることを知ってはいたが、寝間着姿の千鶴を眼にする機会はなかった。まだ、千鶴への監視が厳しかった頃、平助は千鶴が寝間着から着物に着替えをしている瞬間に障子を開けてしまい、その不躾な振る舞いを幹部全員からこっぴどく叱られた。部屋で寛ぐ千鶴の邪魔を決してしない、それが幹部達の決まりとなっていた。
そんな決まりはお構いなく、総司が千鶴の寝起きに悪戯をするようになったのは、春先ぐらいだったか。普段から、総司は千鶴に意地悪やちょっかいを出して楽しんでいるところがあったが、いつの間にか、千鶴をいつも守るのが斎藤の役目になっていた。千鶴が、屯所内の雑事を手伝うようになり、軟禁されていた部屋を出て、中庭や炊事場など自由に行き来するようになると、総司の悪戯はどんどん止まらなくなった。屯所の廊下や中庭で総司から逃げる千鶴、庇う斎藤、総司が千鶴を捕まえ、それを奪い返す斎藤、その騒ぎに土方が怒って叫ぶ姿がよく見られた。
まだ千鶴は幼く、小さくて、総司の肩に担がれたまま、斎藤さん、斎藤さんと助けを呼んでいた。
朝の早い時間、総司はそっと千鶴の部屋に入り、寝間の千鶴を襲った。中庭で見つけた蜥蜴を寝ている千鶴の顔の上にぶら下げて、千鶴を起こした。千鶴は、寝ぼけながら、眼をこすってゆっくり眼を開けた。
ひっ!!
小さな悲鳴を上げまま眼を見開いて固まっている。そのまま気を失う位に驚く千鶴を見て。くっくっくと笑う総司は、布団の上から馬乗りになった。千鶴の悲鳴を聞いて、斎藤を筆頭に幹部全員が千鶴の部屋に駆け込んで来た。全員で千鶴の布団の上から、総司を引きはがし、半べそをかいている千鶴をなだめた。
布団に正座して涙ぐむ千鶴は、女の子だった。
下ろし髪で、大きな黒い瞳からぽろぽろと涙を流している。
(か、可愛い……)
平助は、初めて見る薄紅色の寝間着姿の千鶴を見てどきどきした。
斎藤は、千鶴の手首が紅くなっているのに気がつき、咄嗟に手首をとった。総司がきつく押さえつけたのか。千鶴は、驚いたような顔で斎藤を見詰め返した。寝間着の襟元から、普段は見えない肌が見えた。白い。それに甘い匂いが千鶴から漂っていた。
「すまぬ」
持っていた手を放して、斎藤は身を引いた。千鶴は泣き止んで、不思議そうに斎藤を見詰めていた。斎藤の頬は紅くなっていた。
土方が、廊下を総司を追い掛けている声が聞こえる。左之助と新八が、こんな朝早くから千鶴も大迷惑だよな。そう言って、気の毒そうに開け放った障子のところに立っている。
「後で、つっかえ棒を持ってきてやる。障子を外から開かないようにしてやろう」
「でも、そんな物で総司除けになるかよ」
平助が口をとがらせながら言っている。近藤さんに言いつけて、近藤さんから総司を厳しく叱ってもらうしかねえよ。そんなふうに呆れ返る新八達は、千鶴が落ち着いた様子を確かめてから、それぞれ部屋に帰って行った。千鶴は、斎藤に礼を言った。斎藤は、「俺からも総司には、きつく言っておく」と言って隣の部屋に戻って行った。総司は、罰として朝食抜き、一日部屋での謹慎を土方から言い渡された。朝餉の後に、斎藤は総司の部屋に向かった。退屈そうに、部屋で寝転がる総司に斎藤は、障子の前に立って諫めた。
「総司、雪村の部屋に入るのは、控えろ」
仰向けに寝そべった総司は、天井をみつめていたが、ごろんと寝返ると。
「あの子、寝ている間は、無防備で、口元も半分開いてて」
と言って、総司は肘をついて斎藤に笑いかけた。斎藤は、「なにを……」と呟くと、心の臓がどきどきし始めた。
「男の子の格好している千鶴ちゃんもいいけど。寝間着姿の方が、柔らかい」
「なにをいっている」
斎藤は頬が熱くなっているのを自覚しながらも、そう言うしかない。
「女の子だってことさ」
「おなごと解っていて、手荒な真似をするな」
斎藤がむきになって怒るのが可笑しいのか、総司はずっと肩を揺らして笑っていた。「わかったよ」と言って返事をしたが、どこまでわかっているのか、斎藤は疑問に思いながら部屋を後にした。
夏が終わって、秋口に斎藤は、冬に向けて袷を用意しようと千鶴をつれて古着屋に行った。その時に、斎藤は千鶴に薄紅色の長着を勧めた。千鶴は、宍色より柔らかく暖かい色合いで気に入ったようだった。そして、千鶴はそれを袷に自分で仕立てた。袖や襟以外の胴裏や裾の裏口に、斎藤が買ってやった紅絹(もみ)の布を当てた。見えないところにそっと。
できあがった長着を斎藤の部屋に見せに来た千鶴は、斎藤にも袷を準備したいと言い出した。それから通し裏に藍色の金巾をあてたものを数日で仕上げて持って来た。斎藤は、千鶴の女らしい気遣いが嬉しかった。自分の紅(くれない)と対になっていると、あどけない笑顔で嬉しそうに話す千鶴を眺めながら、受け取った長着を手に持った。なんともいえぬ暖かい気持ちで一杯になった。
了
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お題『紅』(くれない)
島原騒動の後、千鶴は懇意になった君菊と文のやりとりをするようになった。ある日、君菊が住まう置屋に遊びに来てくださいと誘いの文が屯所に届いた。君菊は土方にも願い出の文を同時に出していたらしく、土方がその日の午後に、島原の輪違屋の君菊の元へ明日まで出掛けて来いと外出の許可をくれた。
千鶴は、野村と相馬につきそわれて島原に向かった。輪違屋の別館が君菊の住まう置屋だった。裏の入り口で相馬達と別れると、君菊のお付きの少女が出てきて千鶴を招き入れた。久しぶりに会う君菊は、普段着の着物で寛いでいるが、薄化粧のその姿も美しく、千鶴が泊まりで遊びに来たことを大層喜んだ。そして、お付きの少女にお茶を用意させると、北山の水仙ちまきを一緒に食べた。君菊の話では、天子様の大好物でとても由緒のある粽だという。千鶴は、本当に美味しい。屯所の皆さんにも是非食べてもらいたいと思った。
君菊が急に千鶴を呼んだのは、お座敷の予約がとりやめになって非番になったからだと云う。翌日ものんびり出来るので、こんな時でもないと、千鶴様をお誘いできないと思ったと微笑む。たまには、屯所の雑務から離れて、女の格好でのんびりとさせてやって欲しい。余計なお世話かもしれませんが、土方さんにお願いしてみました。そう言って、君菊は、どうぞごゆっくりしておくれやすと頭を下げた。千鶴は、君菊の気遣いに感謝をして、お誘いがとても嬉しかったと畳に両手をついて丁寧にお礼を言った。
君菊に促されて、千鶴は君菊が用意した着物に着替えた。それは、上絹の見事な振り袖。紅葉が描かれた美しい織物で、西陣の帯が合わせてあった。振り袖は、江戸を出たときから着たことがなかった。懐かしい。お付きの少女が、君菊の指示で、鬢油を程よくつけて島田髷を綺麗に結った。上品な娘らしい装いになった千鶴は、美しく。君菊は自分の傍に招くと、鏡の前に座らせて、うすく粉を刷毛で顔と首筋にはたくと。紅を極薄く唇全体につけた。
ほんに、美しゅうございます。
千鶴は、背後から鏡の中の千鶴に微笑みかけた。振り袖姿の千鶴は、このまま町中に立てば、誰をも目を引くことだろう。上流の御武家か大棚の御息女。そんな佇まいの千鶴を見て、娘盛りの千鶴が美しく着飾ることもなく、日々を過ごしていることが残念でならなかった。
「陽が落ちるまであと少ししかありませんが、祇園社にでもお参りしましょ」
と言って、君菊は駕籠を用意させると島原を後にした。八坂には直ぐについた。千鶴は君菊に手を引かれて石段を上がり、お社でお参りを一通り済ませた。鳥居まで戻ると、其処には【お千】が立っていた。君菊に呼ばれて迎えに上がったと笑う。千鶴は、今日は輪違屋にお泊まりに伺っていると嬉しそうに話すのを、お千は喜んだ。自分も今夜は一緒に泊まりたいといって、君菊が承諾すると、鳥居の石段で、かしましい声をたてて二人の娘は喜んだ。
可憐で美しく快活に笑顔で歩く千鶴とお千。
その後ろを、はんなりと歩く君菊。
綺麗どころが歩いてはる。
道行く人々が皆振り返って三人に見惚れていた。
ちょうど、午後の巡察を終えて、左之助と新八が烏丸通りを南に下っていた。四条通りについた所で、千鶴は目の前に新選組の隊服を見て、左之助の姿を見つけると、足早に近づいていった。
「巡察お疲れ様です」
そう声をかけると、振り返った左之助が驚いた顔をして千鶴を見た。声を出そうとしたが、平隊士の手前、声を潜めた。
「千鶴、見違えたぜ。綺麗だ。いってえ、なんでまたいきなりで吃驚した」
と言って笑うと、左之助は向こうを向いている新八を追いかけて、腕を引いて戻ってきた。
「おおっ、千鶴ちゃんかよ」
新八は目を丸くしている。
「どこの別嬪かと思ったら。よく似合ってるぜ。どこの御武家のお嬢様だ」
新八はくるくると、千鶴の回りをまわってその姿を眺めた。
「今日は、特別に輪違屋にお泊まりに。土方さんが送り出してくださいました」
左之助たちは、そうか。そうか。そう言って微笑んでいる。
「いい羽伸ばしだな。毎日忙しく働いてんだ。たまにはゆっくりしたいよな。楽しんでな」
と言って、新八と左之助は手を振って隊列に戻っていった。千鶴達は、通りで待つ駕籠に乗ると、暗くなる道を島原に戻った。
それから三人で、おいしい夕餉を食べた。三人で話す事は、市中に新しく出来た小間物屋の話だったり、新しい御菓子を食べた話だったり、最近みたお芝居のどの役者の着物が見事だったとか。二人はキャッキャと笑う。お千と千鶴は本当に楽しそうだった。食事が終わると、君菊は湯殿の準備をさせた。
早めに湯に浸かりましょう。
今夜は思う存分お化粧に励みましょう。
君菊の呼びかけで、千鶴は大きな湯殿でお千と湯につかった。いい香りのする米糠で丁寧に髪や肌を洗った。それから、西洋の香油と言われて、お湯をはった桶に華のような香りの油を数滴落としたもので髪や肌をすすいだ。身体や髪からなんとも言えない芳香が漂って。お姫様にでもなった気分だった。
お座敷に戻ると、なにやら君菊は、すり鉢で紅いものを捏ねている。
「爪紅(つめくれない)です」
千鶴は、不思議そうに鉢を覗いた。鳳仙花の花びらに酢漿草(かたばみ)の葉をまぜたもの、これで爪を染めましょう。
君菊は、千鶴とお千の手を台の上に置くと、丁寧に小さな刷毛で爪の上に、爪紅をのせた。お付きの少女がその上から和紙を小さく切った物をのせた。次ぎに足の爪にも同じように紅をのせた。
その間に、君菊は真綿に染みこませた化粧水で千鶴と千姫の頬や額をゆっくりと撫でるように顔全体に塗りつけた、そして手の平に椿油を伸ばしてそっと顔全体に伸ばした。こうしておけば、翌日は肌の張りが見違えるようになる。唇もほんのりと桃色に輝きますよ。千鶴とお千は顔を見合わせて微笑んだ。その後もずっと三人で話が尽きなかった。翌朝、お千とゆっくりと朝餉を済ませると、千鶴は、君菊とお千にお礼を言って、普段の袴着に着替えて輪違屋を後にした。君菊は楽しゅうございました。また遊びにおこしやすと言って千鶴を見送った。
輪違屋の裏口で待っていたのは、斎藤だった。斎藤は、前日に左之助達から、四条通を振り袖姿で歩いていた千鶴が大層綺麗だったと聞いていたので、その姿を見られるかなと内心期待していた。裏口から出てきた千鶴は、いつもの千鶴だった。だが、斎藤に笑いかけるその笑顔は、なんとも可愛くて、斎藤は思わず息がとまった。なにがあったのだろう。一晩、屯所を留守にした千鶴が別人のようだ。格好は同じなのに。
迎えに来てもらったお礼をいう千鶴が、黙っている斎藤を不思議そうに見詰め返している。斎藤はそのままきびすを返して、大門に向かって歩いていった。千鶴は、昨日の午後に島原に行ってからのことを楽しそうに話している。斎藤は、横目でその横顔を時々見ながら歩いた。照れくさい。何故。それに、このいい香りは。いつもの雪村の香りだが、それが更に沸き立つように香ってくる。
いかん
俺はいったい
鳩尾あたりがふわふわとなりながら、斎藤はずっと前を向いて屯所に向かった。そして、一晩留守をした千鶴が屯所に戻ったことが殊の外嬉しい自分を自覚してしまった。そして、その夕方、風呂上がりの千鶴が廊下を歩いて北集会所に戻るのについて歩いていたとき、裸足の千鶴のつま先が紅色をしているのを目にして、心の臓が飛びあがるぐらい驚いた。それは、なんとも艶めかしいものだった。
誰も目にしておらぬ。
誰も目にしてはならぬ。
斎藤は勝手にそう決めていた。千鶴の爪の紅が数日で消えてなくなるまで、斎藤はこっそりと千鶴の爪先を監察し続けた。そして、紅が消えた時、少し寂しいような、ほっとするようなそんな気持ちで溜息をついた。
了
(2018.01.20)